脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

正法寺

【コロナ悲報】補助金を得ながら患者を受け入れない『幽霊病床』問題、未だに解決していなかった・・・:ハムスター速報
これ貰わない奴がアホなレベルな費用対効果だし、パワーバランス的に行政に強制力一切ないしと不正を勧奨してるとしか思えない制度設計。拙速は巧遅に勝るとは言いますがそれにしたってねえ。


 咳のし過ぎか見事に横隔膜だか肋骨だかを痛めました。ああいつになったら健康体に戻れるんだろう。


競馬成績・・・R4収支-680

君を思い出せば胸が苦しくて消えてなくなりそうだ

正法寺
 埼玉県東松山市にある真言宗智山派の寺院。山号は巌殿山。坂東三十三箇所の十番札所である。一般には岩殿観音の通称で知られる。
 寺伝によれば養老年間に、沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し、鎌倉時代初期に源頼朝*1の命で比企能員*2が復興した。頼朝の妻北条政子*3の守り本尊だったと伝わっている。1574栄俊が中興開山となる。'91徳川家康*4から寺領二十五石の朱印地を与えられる。 (wikipediaより修整引用)


 そぼ降る雨に打たれつつ*5、高坂駅からでこでこ電車で山に分け入ったところに鎮座まします坂東三十三観音が一岩殿観音。山ぶところにくるまれるような立地は、雨で霞む空模様と相まって展望という面では正直がっかり。かわりに目を引いたのが、境内にすっくと佇む大イチョウ。ちょうど紅葉シーズンのオーラスだったのもあってその一面だけ絨毯を引いたように黄色い落ち葉で彩色されているのは、周りが恬淡とした水墨画に出てくるような山寺だけあって、スポットライトをあてられたような艶やかさ。色彩の氾濫に慣れ切った現代人の目で見てこれなのですから、昔の人はそら天上世界を連想もしただろうなあと。珍しくカメラを趣味にしてないことを後悔した旅になりました。

永遠に生きられるだろうか永遠に君のために

 その一方で往時は信仰を集め目玉であったであろう石仏群がろくすっぽ管理もされず風雨に朽ちかけている切なさ。まあこのご時世そんな地味なもんじゃあ人は呼べないのはよく分かりますが、もうちょっと敬意ってもんを・・・。諸行無常とはこういうことを言うんでしょうかねえ。


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*1:鎌倉幕府初代将軍。権大納言。父義朝、母由良御前。父義朝に従い平治の乱に従軍するも破れ伊豆国流罪以仁王の令旨に呼応し挙兵し関東に一大勢力を確立し鎌倉幕府を樹立。同族の義仲・義経らや平家・奥州藤原氏を滅ぼし、全国政権となるも後白河法皇などの抵抗もあり、朝廷や西国を屈服させることはできなかった

*2:上野国守護。右衛門尉。伯母の比企尼が頼朝の乳母だった縁から近侍。側近として累進し鎌倉殿の十三人に名を連ねるも、比企能員の変にて横死。

*3:安養院。源頼朝夫人。従二位。父時政。子に頼家・実朝・大姫・三幡。夫頼朝の死後、実家北条氏の覇権を守らんと子の頼家・実朝はおろか父時政までも粛清し、弟義時と共に摂家将軍藤原頼経を擁立し、幕府の実権を握り、承久の変鎮圧などの功を挙げた。

*4:徳川幕府初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。旧名:元信→元康。織田家後今川家の人質として成長。桶狭間の戦いを機に独立し、織田家との清州同盟を背景に東海地方に勢力を伸張。本能寺の変後秀吉と織田政権の後継を争うも小牧長久手の戦いを経て臣従。豊臣政権で五大老の筆頭として活躍。秀吉死後関ヶ原の戦いに勝利し徳川幕府を樹立。

*5:当小旅行敢行R3.12/8