脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『京都・同和「裏」行政~現役市会議員が見た「虚構」と「真実」』

【朗報】ZONEさん「secret base~君がくれたもの~」から20年後の8月になる:哲学ニュースnwk
「あの花」から十年って聞いて本気でぞっとした


 『巨大映像で迫る五大絵師 ─北斎・広重・宗達光琳若冲の世界─』に行ってきましたんで感想箇条書き。

  • 「巨大画面で美術作品の細部をドアップで鑑賞」ってフォーマットは今後スタンダードになるべきと思わせる完成度と可能性を感じさせられました
  • ナレーションの光浦靖子の絶妙に耳障りな活舌が実に不愉快。おとなしくプロを使え
  • 3面シアターでの演出が実に邪魔。東京オリンピック開会式に通じる現代アート界の闇と堕落を感じた
  • 俵屋宗達風神雷神図屏風」が圧倒的な迫力。それと明らかな摸作もしくは習作な尾形光琳風神雷神図屏風」を並べて見せるやり口にはセンスも敬意も感じなくて正直げんなり
  • 伊藤若冲「仙⼈掌群鶏図」の超絶技巧に度肝を抜かれました。ただ過度の擬人化とそれに伴う牝鶏アゲが実に不愉快。イランことをするなと小一時間。それより周りもみんな食いついてた「ヒヨコ可愛い」を推してけばいいのに。ほんとセンスないなあ。
  • 「鞍⾺・厳島図屏⾵」・「⼆条城⾏幸図屏⾵」って一般受けは一切しないけどこのフォーマットにベストマッチな作品をねじ込んでる辺りにキュレーターの意地を見た
  • ミュージアムショップにまともな学術書や入門書が一切並んでないのがすべてを象徴している気がしました
  • 結論。フジは芸術イベントに口出すな。金を出してくれたのには素直に感謝です

この子よう泣く守りをばいじる

村山祥栄
 昭和五十三(1978)年~。左京区下鴨在住。マクリン幼稚園、下鴨小学校、東山中学、東山高校卒。中学時代、自己保身に走る政治家をみて、「自分なら命をかけて働く」と政治を志す。1996専修大学法学部入学。学生時代は衆議院議員松沢成文*1秘書として政治の現場で奔走。2000株式会社リクルート入社(SUUMOの営業マン)。'03左京区から京都市政史上最年少で初当選。職員のさぼリ現場にTV局と乗り込み大乱闘。京都市不祥事問題の火付け役になるなどタブーなき改革に挑戦!'07二期目トップ当選。数か月に及ぶ同和行政の実態を調査。その後、講談社より出版され、同和行政終結に向けた大きな一里塚となる。'08京都市長選挙立候補、惜敗。不祥事続きの市役所内部から候補擁立に異議を唱え、市議を辞し、立候補。'10故堀場雅夫*2氏らとともに、地域政党京都党を発足。京都党代表(~'19.10)。京都産業大学法学部講師('08.10~'11.3)。学習塾・高志塾塾長('08.7~'11.3)。'11京都市政史上過去最多得票12,529票にて三期目当選。議員定数削減の直接請求を実施、定数減のきっかけに。土地開発公社の塩漬け用地の実態調査がTVでも取り上げられ大きな問題に。'15四期目トップ当選。「今上天皇*3譲位後は京都へ」の署名活動で1万筆を国へ提出、宿泊税の導入提案など幅広い分野で話題を呼ぶ。大正大学地域構想研究所客員教授にも就任。'19五期目トップ当選(4期連続)。'20京都市長選挙に立候補、惜敗。大正大学地域構想研究所客員教授地方自治を中心にした政策立案・調査、講演、執筆を中心に活動中。(公式HPより修整引用)


 大阪に橋下徹あれば京都に村山祥栄あり。関西を覆いつくしていた「同和」の悪しき慣行と対峙し風向きを変えてくれた英雄の活動録。2期連続トップ当選で意気軒高、このままいけば市長選も・・・の鼻息の荒い時期の著作なので、当たらば砕けの勢いが感じられて、既得権益と戦う若きドン・キホーテの物語として読んでも一級品。日本の闇を煮凝りにしたような京都の同和行政の闇に義憤をたぎらせたい人是非ご一読を。この後の村山氏の「挫折」を知ってしまっているとなんとも無力感を感じてしまいますが。

はよも行きたやこの在所こえて

 某候補のスタッフとして彼と戦ったことのある身からすると、彼の人気とカリスマは橋下元知事とまではいかなくとも今の吉村知事くらいはあったよなあと懐かしく思い返されます。それが結局完膚なきまでに叩きのめされるんだから、京都ってのはやはり一筋縄ではいかない土地ですね。


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帰ってきた今日の一行知識

市会議員と市議会議員では全く意味が違う

普通の市だと市議会議員で政令指定都市は特に市会議員って言って、身分も権限も選出方法も全く違うんですね。同じ市議さんでもややこしいです。

*1:参議院議員日本維新の会)。神奈川県第15-16代知事。田川誠一の薫陶を受け、神奈川県議を経て新生党衆議院議員に。民主党党首選敗北を期に神奈川県知事に転身。橋下徹らとともに改革派の知事として勇名を馳せる。石原都知事の後継を猪瀬直樹と争うも敗北、みんなの等から国政復帰。みんなの党解党後は次世代の党、希望の党日本維新の会を渡り歩き、現在横浜市長選への立候補を表明中。

*2:堀場製作所初代社長。京大在学時に測定機器メーカー堀場製作所を創業。日本における学生ベンチャーの魁として、京都の財界で主導的役割を果たした。

*3:上皇。第125代天皇。諱は明仁。父昭和天皇、母香淳皇后昭和天皇の後を襲い即位。美智子皇后と共に民に親しまれる天皇として激動の平成をしろしめす。高齢による公務遂行困難に伴い譲位