脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『幕末維新の個性4~西郷隆盛と士族』

痛いニュース(ノ∀`) : 朝日記者 「不法侵入で逮捕はおかしい。記者の仕事は“誰にも縛られない”ことだ」 - ライブドアブログ
YouTuberの皆さん良かったですね。朝日新聞社は編集会議も役員会議も全部ノーアポ取材容認ですってよ。配信楽しみにしてますね。


 お仕事で競売の開札に立ち会い。無事落札できたんですが、隣の強面のおっさんがその瞬間天仰ぐのを見たときは帰り途が死ぬほど心配になりました。ホームの端歩くのってあんなに怖いんですね。

右も左もまとめて入れる胸の深さに竜馬も惚れた

西郷隆盛
 文政十(1827)~明治十('77)年。幕末・維新期の政治家。薩摩藩西郷吉兵衛*1の長男。薩摩国鹿児島城下の下加治屋町出身。幼名:小吉→吉之介、通称:吉兵衛・吉之助、諱:隆永→隆盛。雅号:南洲。変名:大島三右衛門・菊地源吾。
 藩校造士館に学び、1844郡方書役助、のち書役となり、10年間農政を指導し改革の必要性を痛感した。'54江戸で藩主島津斉彬*2の知遇をうけ、御庭方役として国事に奔走、'58安政の大獄と斉彬病没に絶望し僧月照*3と投身自殺をはかったが西郷のみ蘇生、'59奄美大島に流された。'62許されて上洛したが、島津久光*4の怒りにふれ、沖永良部島流罪となる。'64許されて上洛、薩摩藩軍見武役に就任し、大久保利通*5らと結んで禁門の変・第1次長州戦争には幕府側の指導者として活躍したが、その後藩論を公武合体から尊王倒幕へ転換させ、'66薩摩の代表として長州の木戸孝允*6との間に、薩長連合盟約を結ぶとともに、藩政改革・軍備拡充・英国接近など倒幕の準備をすすめた。'68王政復古のクーデターに成功、戊辰戦争には東征大総督*7の下に参謀として全軍を指揮した。革命的民衆への警戒と英国の圧力により、将軍徳川慶喜*8の助命と徳川家存続を条件に妥協、江戸城無血開城に成功したが、その後突然帰藩、'69参政となって藩政改革を推進、軍備拡充を中心に下級藩士中心の軍事独裁体制を築きあげた。'70政府の招請により上京、'71参議となり廃藩置県に協力したが、'73征韓論を主張し大久保らと対立して下野、帰郷した。〈敬天愛人〉を信条とし、人望あつく、個人的には野心をもたなかったが、不平士族に擁され、'77西南戦争をおこして敗れ、自刃した。そのため逆賊とされたが、'89罪を許され、正三位を追贈された。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)


 大河が終わって数年するとブックオフにその人の伝記がやたらあふれるパターンで入手した一冊。内容はよくある西郷伝なんですが、人口に膾炙しまくって手垢のついた江戸城無血開城西南戦争をかなりはしょり目にして、斉彬の寵臣期や流刑時代に紙幅を多く割いてるのが特徴。功成し名を遂げた後の英傑ではない、ワナビー西郷どんの姿はちょっと新鮮。内容自体はかなり硬派な大学一般教養レベルの学術書ですが、先の大河で西郷どんにほれ込んだ方は是非ご一読を。

行けよ若者絆を断って流す血潮を吸って咲く

 『風雲児たち 幕末編』にはまって以来、自分の中でイメージが茫洋としていた慶応以前の幕末期の解像度が跳ね上がっており、登場する歴史的人物たちに血肉が通ってきた気がします。やはり歴史を学ぶには漫画から入るのが一番ですね。

西郷隆盛/吉田松陰

西郷隆盛/吉田松陰

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帰ってきた今日の一行知識

西郷隆盛がデブったのは奄美大島流刑以降

そこでフィラリアに罹って象皮病発症しちゃってまともに運動できなくなったせいであれだけの肥満体になっちゃったんですね。確かに若いころは斉彬の御庭番とかやってたんだからあんな体系な訳ないですよね。 

*1:隆盛。勘定方小頭。41石。父隆充、母四本氏。

*2:薩摩藩第11代藩主。左近衛権中将。父斉興、母弥姫。曾祖父重豪の薫陶をうけ蘭癖に耽溺。父斉興に疎まれるもお由羅騒動の果てに藩主就任。殖産興業や軍の近代化を図り、将軍継嗣問題では一橋派の重鎮として活動するも、井伊直弼大老就任により挫折。直後志半ばに病死。毒殺説も。

*3:清水寺成就院住職。尊攘派としての活動を憎まれ安政の大獄連座し薩摩に逃亡するも疎まれ自殺。

*4:左大臣。公爵。父斉興、母お由羅の方、養父種子島久道→島津忠公。旧名:忠教。お由羅騒動により藩主就任を逃すも兄斉彬の死後息子忠義が藩主となり国父として実権を掌握した。寺田屋事件生麦事件を起こしつつも文久の改革を実現。禁門の変でもイニシアチブをとるも、犬猿の仲の西郷隆盛が声望を集めるに伴い逼塞。明治六年の政変で隆盛が失脚すると新政府に出仕するもその超保守派な言動が疎まれ失脚。

*5:第1・3・5代内務卿。従一位勲一等。父利世、母(皆吉)福。久光の寵愛を受け累進。禁門の変で盟友西郷隆盛復権すると、公武合体派の久光のコントロールを外れ、岩倉具視桂小五郎と提携して倒幕に尽力。王政復古のクーデターを成功に導き維新の三傑に数えられた。新政府でも政権中枢として活躍するも、紀尾井坂の変で横死。

*6:第2代内務卿。従一位勲一等。父和田昌景、母(猪口)清子、養父桂孝古。吉田松陰江川太郎左衛門らに師事し長州藩内の少壮志士のリーダー格として活躍。薩長同盟の密約を実現に導くなどの活躍により維新の三傑に数えられる。新政府でも五箇条の御誓文の起草や廃藩置県の実現などに活躍し、中間穏健派として重きをなした。

*7:有栖川宮熾仁親王。第2代兵部卿。陸軍大将。父幟仁親王、母佐伯祐子。尊攘派皇族として活躍するも禁門の変で失脚。王政復古に伴い復権し、戊辰戦争では東征大総督として勝利に貢献。以降は陸軍内で重鎮として存在感を放った

*8:徳川幕府第15代将軍。公爵。父水戸斉昭、母吉子女王、養父一橋昌丸→徳川家茂。権現様の再来と将来を嘱望され、将軍継嗣問題では次代将軍に擬されるも、井伊直弼大老就任により頓挫。桜田門外の変により復権し、政治総裁職として文久の改革を推進し、家茂の陣没に伴い将軍就任。引き続き改革を推進するも時流は覆せず大政奉還を実施し江戸幕府の歴史に幕を下ろした