脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『福地桜痴』

【朗報】ラノベ『スレイヤーズ』ついに第三部始動!! | やらおん!
まさか令和になってこんな展開があるとは。まあこないだの新刊えらい売れ行きでしたもんね。


 いつもち変わらぬ風景が待つ部屋に帰る。ありふれてるけどなんて贅沢な幸せでしょうか。問題は引っ越し明日ってことだけ。さあどうしてくらりょか。


SRWT進捗

  • 2周目第21話「小さな火を胸に」カンパニーと交戦開始。トップエース:キンケドゥ=ナウ@XBガンダムX1改・改。

福地桜痴 (人物叢書)

福地桜痴 (人物叢書)

入会金無料一時間800円

福地源一郎
 天保十二(1841)~明治三十九(1906)年。明治時代のジャーナリスト。医者福地苟庵*1の子。肥前出身。幼名:八十吉、号:星泓・桜痴。
 1856十五歳のときから蘭学を学び、'58江戸に出て英学を学び、また幕府に出仕して通訳・翻訳の仕事にたずさわった。'61・'65渡欧。渡欧中に言論とくに新聞に深い関心を抱くようになり、またシェークスピア*2にも熱中した。'68『江湖新聞』を発行して佐幕の論陣をはり、新政府から逮捕、発行禁止の処分をうけた。'70-'74新政府に仕え、岩倉具視*3大使の欧米巡遊に一等書記官として加わった。'74太政官記事御用の『東京日日新聞』の主筆となり、以後政府擁護の立場で自由民権運動派批判の筆をふるった。'82丸山作楽*4・水野寅次郎*5らと立憲帝政党を組織、東京府会議長・東京株式取引所肝煎となるが、名声しだいに衰え、'88「東京日日」を退いた。その後、演劇に深い関心をもち、歌舞伎改良を提唱して歌舞伎座を創立し、また『春日局』『侠客春雨傘』などの脚本を書いた。1904衆院議員となった。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)


 新紙幣落選記念に明治の知の巨人、福地源一郎桜痴の伝記を読了。正直、凄いって評判の割には著作集も伝記もあんまり見かけないのなんでだろうって思ってましたが、その謎が解けました。こいつ人間のクズだ。節操なく権力者に取り入って好き放題やってかばいきれなくなって放逐の連続で全く尊敬というか同情のできる余地なし。それでいて、頭は切れ切れで文才もほぼ最高峰なんだからこれまた質の悪い。最後に転がり込んだのが演劇畑で歌舞伎改良に熱上げるって辺りも、進歩的文化人様の零落を感じさせます。いつの時代もみんな考えること変わんないもんですね。
 という訳でなかなか読んでて胸糞悪くなってくる伝記ではありましたが、頑張ればピカレスクロマンとして楽しめるんじゃないでしょうか。まあやってることは大分小悪党なことばかりですが。

さくらにフラれて田舎に帰ります

 「性狷介なれど・・・」には憧れるんですが、実際そんな奴いたら心の底から鬱陶しいんだろうなあと改めて。いつまでも中二な妄想に浸ってないで、コミュ障克服の努力をしてみたいと思います。まあアラフォーでそんなこと言ってる辺り、大分手遅れな気がひしひしと致しますが。

さくら

さくら


さくら《グループ魂》

帰ってきた今日の一行知識

「桜痴」の号の由来は愛人の源氏名

なんでも吉原の「桜路」さんに首ったけだったんでつけたようです。なんつーか、明治の偉人の方々のネーミングセンスってどうしてアレなんだろう

*1:載世。父岸丈右衛門、養父嘉昌。通称源輔。篠崎小竹に師事し、経史詩文をよくする。その後、長崎にて福地家の婿となり医師となった。

*2:William Shakespeare。父ジョン、母メアリー=アーデン。代表作:『ハムレット』、『ロミオとジュリエット』、『リア王』(戯曲)他。

*3:第2代外務卿。正一位大勲位。父堀河康親、養父岩倉具慶鷹司政通の寵遇を得て累進。公武合体派の筆頭として和宮降嫁を主導するも、尊攘派の弾劾を受け失脚蟄居。その間大久保利通らと通謀し王政復古の大号令を実現。新政府ではその功から要職を歴任し、明治六年・明治十四年の両政変で暗躍した。

*4:外務大丞。従四位。父正直。外務大丞として樺太問題に奔走するも失敗し失脚。その後征韓論実現に向けて叛乱を企てたため逮捕。恩赦により出獄後は保守政治家として活動し、立憲帝政党の創立にも参画した。

*5:奈良県第4代知事。父幾七。立志社に加わり自由民権運動に参画。西南戦争で西郷軍に合流しようとして逮捕。出獄後は内務官僚として活躍し累進。