脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

競馬と岸家系図と三学戒について

痛いニュース(ノ∀`) : マクロン仏大統領、ノートルダム寺院火災の復興に向けて世界中から寄付募集 - ライブドアブログ
日本で喩えると金閣寺、韓国だと南大門あたりが当てはまるでしょうか。・・・なんだ結構燃えてるじゃん。


 祝二度目の終電逃し。今回は職場にすら戻れず漫喫泊まり。・・・はよ引っ越そっと。


SRWT進捗

あのね話したい聞きたいことも膨大

競馬

競馬 Horse racing and breeding
 広い意味では馬の競走をさすが、一般には馬場を設け、そこでレース用に特別に生産・調教された馬を競走させ、その勝敗に賭ける行為をいう。
 初めは、イギリスで王侯貴族の趣味として発生し、のちに馬種改良の有効な手段としての意義が強調され発展した。世界各国に広まるにつれて漸次、商業主義的な色彩を濃くし、さらにその収益が国や地方公共団体などの財源として重視されるようになった。これが近年における世界的な傾向で、日本もその例外ではない。競馬施行団体の組織、性格、施行体系などはそれぞれの国情により異なるが、馬を競走させてその勝負に賭け合うという競馬の本質は変っていない。現在では六〇ヵ国以上で実施されており、多くの観衆を集めるスポーツの一つである。(『ブリタニカ国際大百科事典』より引用)


 競馬の歴史や現状なんかについて語り出したら、もうどれぐらいの紙幅があってもっていうか、そもそもそんな知識も造詣も情熱もないので、私と競馬の関りについて話してお茶を濁したいと思います。

 まず我が家は両親ともに大のギャンブル嫌いで身近に競馬をたしなむ人は皆無でした。そんな私が競馬に触れるのは当然といえば当然のごとくにマンガ、『風のシルフィールド』『みどりのマキバオー』『じゃじゃ馬グルーミング☆UP』なんかにはまりました。あとバラエティーですが『さんまのなんでもダービー』も大好きで妹とよく握ってたのを覚えています。一人暮らしを始めてからも友人連は真面目な草食系がほとんどだったので誘ってくれる人もなし。安部譲二浅田次郎なんかの好きな作家さんが競馬関連の著作も多かったのでそこで触れるぐらいですかね。
 そんな状況が一変するのは就職してから。派遣や福祉といった底辺層の巣窟射幸性に富んだ方の多い職場だったので必然的に競馬を嗜む人も多くその人たちの影響もあって、平成28年金杯からほぼ毎週、メインだけ豆券をIPATで買うという実に横着な楽しみ方をしています。なので実は未だに競馬場行ったことなかったりします。因みに戦績は初年度こそビギナーズラックや後述の万券的中にも助けられて回収率91.15%*1だったものの29年度48.26%、30年度58.04%今年に至っては皐月賞終了時点で33.15%の体たらく。才能ないのは自覚してますが、ここまでひどいと流石にへこむ。今後も絶対に大勝負はせずに豆券で楽しもうと思います。因みに過去最高の大当たりはH29朝日杯FSの三連複的中で42820円。これでボンセルヴィーソのファンになったんだけどなあ(遠い目)

 

岸家+家系図


 この姓は摂津・武蔵等の地名からきたものと、古代の吉志からきたものとある。吉志は原始的姓で、韓半島から渡来した帰化人の子孫につけられたものである。貴志はその末裔。一族は、美濃・尾張・出羽・越後・丹波・丹後・美作・備後等に分布する。
 岸信介*2自民党総裁で、首相。兄に造船技術中将佐藤市郎*3があり、弟に首相佐藤栄作*4を持つ秀才の一家。信介だけ実家の岸家をついで岸姓を名のる。山口県熊毛郡布施町出身で、母の祖父信寛*5島根県令を務め、父*6もまた県議をしている名家である。岸家の祖は関ヶ原合戦で敗れた毛利藩の郷士とおもわれ、徳川期には歴史上から埋没していた感がなきにしもあらずだが、代々祖法を守ってつづいてきた。
 弁護士に岸清一*7という人がいた。あるとき有名な実業家が訴訟をたのみに来た。証拠物件として莫大な額の有価証券を置き、「預かり証をいただきたい」というと、「預かり証を書かねば気がすまないような男になぜ大事な事件をたのむのか。お断りだ」と答えた。実業家は怒って帰ったが、また礼をつくして頼みに来た。この事件で岸清一の名は一躍有名になったが、この人は出雲の岸族から出ている。『安西軍策』に出雲勢左馬進*8とあるのが、祖であろう。美作の豪族で清和源氏山名氏流の岸氏や、伯耆国尾高城主山名氏の裔に岸備前守氏秀*9があるがやはり同族。さきの岸信介の祖とも関係がある。
 岸氏にも異流が多い。元来「キシ」の語源は、山腹の岩石などの切りたったところか、陸と水のきわとか、切ったようにハッキリと変化している地形からきている。「岸」の前後にたとえば山岸、岸野のようにほかの漢字をつけて姓としたものも語源は同様である。祖先は源平であってもその地を負って姓としているものの数が多いのは、そうした地形が多いからであろう。
 幕末の医者岸鶴汀は奇人で、だれと会っても「ご機嫌よろしく」と挨拶した。その理由を問われると、「人生朝露の如し、きょう会えることは有難し」と答えた。名医としても知られていたが、出は阿波の岸氏で、もとは丹波から発し、清和源氏の流れを汲んでいる。
 崕・崖・涯等に通用。(『姓氏家系大事典』より引用)

家系図
 血縁や結婚の関係を表した図。系図。(『広辞苑 第五版』より引用)

 
 世に岸姓の人は多けれど、やっぱり代表するのは「昭和の妖怪」岸信介でしょう。なので、今の安倍首相もがっつり乗ってる岸家の系図岸信介を中心に見てみましょう。
 まず現在の「当主」は衆議院安全保障委員長の岸信夫氏。安倍晋三実弟ですが、早くに子のなかった叔父信和の養子となり、大人になるまで兄弟なの知らなかったとのこと。その所為かあまり忖度もされず政界では地味な活躍ぶり。
 一代遡ると上述の信和氏。一時期父信介の下で総理秘書官を務めていましたが、政界入りはせず西部石油で累進。会長にまで上り詰めています。この人のお姉さんが安倍首相の母親洋子氏。
 そして、二代遡れば言わずと知れた岸信介首相。功績は書いてるときりがないので省略。佐藤家の次男に生まれましたが父方の従姉とと結婚して婿入り。婿入りしてきた父の実家の家督を相続するってややこしいことになっています。この世代は兄に造船技術中将の佐藤市郎、弟にこれまた首相の佐藤栄作と俊英揃い。
 さらに遡れば、山口県田布施の領主であっがた信政、要蔵と続きます。家伝によると厳島の戦い陶晴賢を裏切って毛利方についた帰化人の「ガン」氏が祖だそうです。

言志四録+代表

言志四録
 『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耊録』の総称。著者は佐藤一斎*10。文化十(1813)~嘉永四('51)年頃までに順次成立。4巻。
 一斎が42歳からおよそ40年間にわたって筆録・刊行した語録で、日々の修養や心得、さまざまな事物の道理など、筆者の学問や体験からうまれた教訓が書かれている。西郷隆盛*11もこれを愛読して101ヵ条を抄録し座右の銘とした。『岩波文庫』『日本思想体系』所収。(『山川日本史小辞典 改訂新版』より引用)

代表
1、ある多数のものに代わって、その意思を外部に対して表示すること(人)。
2、全体に代わって、その特徴・内容を表わすこと(もの)。
(『広辞林 第五版』より引用)


 言志四録を代表する一文と言えばやはり、小泉元首相にも引用された『言志晩録』第60条「少にして学べば、則ち壮にして為す有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず、老にして学べば、則ち死して朽ちず」*12となるでしょう。生涯学習の大切さを謳った名文として名高いですが、私もこれに習って死ぬその時まで読書を嗜んでいたいもんです。その為にもまずは目を大事にしなきゃあなあ。白内障緑内障は加齢の宿命としても、まかり間違っても糖尿病性網膜症だけにはならないように気を付けよっと。

[現代語抄訳]言志四録

[現代語抄訳]言志四録

  • 作者:佐藤 一斎
  • 発売日: 2005/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

What d'you want? いったいなにがはじまりそうかな

 競馬のように血脈を継ぐのか、養子をとりまくった岸家の家系図のように名を繋げるのか、それとも言志四録に代表される箴言集のようにミームを伝えるのか、後世に何を残すのかはなかなか難しい問題です。まあそんなこと考える前に託すべき相手をさっさと見つけろよって話なんですが。

HOLIDAYS

HOLIDAYS

  • 発売日: 2017/05/10
  • メディア: MP3 ダウンロード

木村カエラ - 「HOLIDAYS」ミュージックビデオ short ver.

帰ってきた今日の一行知識

岸信介は60年安保の際、全学連に対抗するために右翼ヤクザテキ屋etcの暗黒社会連合軍を組織していた

なんという分かりやすい悪役ぶり。そら「妖怪」ってあだ名もつけられるわ。

*1:該当毎レースごとに宝くじ代わりに100円ずつ買ってる3連単は除く

*2:第56-57代内閣総理大臣。正二位大勲位。父秀助、母茂世。戦前は商工官僚として満州の経営などに手腕を見せるも、それが祟ってA級戦犯指名を受ける。解除後は日本民主党の結党に参加。石橋湛山の病気退陣により首相就任すると現在に続く国民皆保険・年金などの社会保障制度を制定するも、タカ派的な政策と言動により学生運動の高揚を誘発、日米安保条約改定を置き土産に退陣。以降も政界に影響力を保持し続け「昭和の妖怪」と渾名された。

*3:旅順要港部第6代司令官(第二次)。海軍中将。勲一等旭日大綬章。父秀助、母茂世。軍令畑で累進するも、開戦を前に退役。以降は海軍史家として活躍。代表作:『海軍五十年史』他。

*4:第61-63代内閣総理大臣従一位大勲位。父秀助、母茂世。戦前は鉄道官僚として活躍し戦後吉田学校の双璧として政界進出。池田からの禅譲により首相就任後は外交に注力し日韓基本条約締結・沖縄返還などを成し遂げノーベル平和賞に輝いた。

*5:第5代島根県令。正五位。父信立。長州藩で郡奉行筆者役として活躍し、維新後は浜田県知事、島根県令などを歴任した。

*6:山口県会議員。父信寛。漢学者として活躍。

*7:大日本弁護士会会長。紺綬褒章。父伴平。弁護士として活躍し民事訴訟法の権威となる。体育協会やIOCの委員としても活躍し、幻の東京オリンピック招致やFIFA加入などに尽力した。

*8:国比部合戦に出雲勢として山中幸盛の幕下に参陣。

*9:龍王山城主。

*10:大道。昌平黌儒官。父信由、母蒔田氏。代表作:「重職心得箇条」、『愛日楼詩集』他。

*11:参議。陸軍大将。父吉兵衛隆盛。号:南洲、旧名:隆永。島津斉彬の御小姓方として活躍。斉彬死後久光に疎まれ沖永良部島流罪。盟友大久保利通の奔走により復権後は、禁門の変・第一次長州征伐に活躍。薩長同盟締結後は官軍の総大将として戊辰戦争に勝利。維新の三傑筆頭の軍功を挙げるも、新政府内では冷遇。明治六年の政変で下野した後、不平士族を糾合し西南戦争を引き起こし敗死。

*12:白文:「少而学、則壮而有為。壮而学、則老而不衰、老而学、則死而不朽」。私訳:若い頃に学問をしていれば成年してから役に立つ。現役時代にも学問しておけば、齢を取っても頭が衰えないですむ。老人になってからも学問をしていれば、死んだ後もその名を残すことができるんではないだろうか。