脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

一之江名主屋敷

( ヽ゜ん゜)「職歴なし?あんたもう30だろ?そんなの雇うわけないだろ?」:哲学ニュースnwk
介護業界はいつでもあなたを待ってます


 【朗報】弊施設において、虚礼廃止による弊風打破成功!・・・ふんだ。


今日の仮想通貨

競馬進捗・・・H30収支-1390

  • 門司S・・・本命テルペリオン+40

DQⅧ進捗

  • 闇の遺跡探索中。主人公のスキル称号:「グレイトシューター」

小さな喜びを笑顔に乗せて

一之江名主屋敷
 当家の先祖田島図書*1は一之江新田の開拓者として知られています。田島家は元禄頃から一之江新田の名主をつとめた旧家です。広大な屋敷地には、この地方ではめずらしく防風林が生い繁って、屋敷のまわりの堀も残っています。東方入口に長屋門を構え、東向きの母屋は茅葺きの曲り家造りです。式台を設けた玄関は間口2間ですが、天井は低く、この地方特有のものです。主家は、記録によると安永年間(1772-'80)の再建で、敷居や鴨居も三本溝になっているなど、江戸中期の建築様式を伝えています。ドマは30坪あまりで、中央の大黒柱は径45㎝もあるケヤキの丸柱を使用し、これを境にしてドマが二分され、一方は農作業の場で、他方はカマドのあるカッテです。年貢米を入れたコメビツ(ます)も四間の長さがあり、往時の繁栄がしのばれます。ドマの天井は踏板天井で農具や川船の収納場所になっていました。曲り家はこの地方の旧家建築の代表的形式ですが、この屋敷は当時の名主屋敷の面影を今に伝えています。(『江戸川区の史跡と名所』より引用)


 遠出続いたので今回は近場へ。30分圏内にこんなしっかりとした史跡があったとは知らなんだの一之江名主屋敷。とは言っても、所詮区のやっつけ仕事な観光地レベル。小学校の社会科の授業にはちょうどいいんじゃないですか?の郷土資料館レベルでちょっと肩すかし。管理人さんたちは非常に純朴そうないい方々だったんであんま悪口は言いたかないんですが、半端な手入れのされ方が実にリアリティを削ぐ、悪い意味での古民家復元の典型。正直父母の実家の旧家の方がよっぽど「古民家」してた気がする。囲炉裏にくべられてた薪の煙が鬱陶しいやらノスタルジックやらの複雑な郷愁を掻き立ててくれたのだけが印象的な施設でした。

もう次のページめくる嬉しさを

 とは言いながらも、物販の方では結構中々の収穫が。『江戸川区の名所と旧跡』『江戸川ブックレットNo.5〜地名のはなし』、こういった正規書販ルートに乗らない自主制作本の入手こそがマイナー観光地探訪の醍醐味と言ってしまうのは大げさでしょうか。

Parade

Parade

帰って来た今日の一行知識

「名主」は読み方が「みょうしゅ」か「なぬし」かで全然意味が違う
「みょうしゅ」だと中世の荘園高令制における名田の請負主のことで、「なぬし」だと近世における庄屋の別名。全然時代が違うんですね。因みに私何故か今回の訪問先を一之江「みょうしゅ」屋敷と勘違いしてまして、非常にwktkしてたのも、上述の落胆の一員です。冷静に考えれば江戸川くんだりに中世の遺構が残ってる訳ねえよなあ。

*1:旧名:堀田英丈。初め豊臣秀吉に仕えるも関ヶ原の戦い後、西一之江村大杉の田島庄兵衛方に寄寓し土着。一之江新田を開発した。