脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『応仁の乱〜戦国時代を生んだ大乱』

世界ランク速報 【悲報】女性「子供がダウン症で良かった。いつまでも赤ちゃんみたいで可愛いから」
表だって言わないだけで、この感覚の方結構多いんじゃないでしょうか。だからニートが増えるんでしょうし。


 ドラゴンクエスト11ようやくクリア。攻略本片手にほぼ全要素やり込んだとは言え、累計プレイ時間120時間か。ちょっとした国家資格なら楽勝でとれたなこれ。現実から目を背けつつ感想以下。

  • カンニングしながらとは言え、かなりのゆとり仕様。結局全滅したのは対ロウ戦だけで、苦戦したのも終焉竜エンドラゴン・ペガサスもどき・アメジストワームにラスボス位。
  • 過去作のオマージュというかセルフパロディ満載。誰もドラクエに新要素なんて求めてないんだと思うとちょっと残念
  • SF者としては、過去改変を能動的に肯定的にやるのはどうも違和感が拭えません
  • スペクタルショー+会心必中のコンボが極悪すぎる。あまりの猛威に中盤以降は自主的に封印しました
  • 不思議な鍛冶は素材集めがとっても楽しい・・・んですが、レア素材の入手が大概レシピ入手に先行するんで、ようやくあの素材を・・・って感動が薄いのがちと残念
  • それがなきゃあ鳥山節から外れるとは言え、オカマキャラとスケベな爺キャラは正直いらん。
  • グレイグは敵の時にはあんなにカッコよかったのに・・・
  • マルティナエロいよマルティナ
  • 目覚めしセーニャの設定は個人的に大好物。「あなたのグズな妹がここまで強くなれました」(うろ覚え)の台詞には感涙
  • しかし、結局最後はつるぎのまい&ばくれつきゃく大正義のゲームバランスは20年前から変わらんのね。


DQⅪ進捗

  • りゅうおうもどき&シドードラゴン&ゾーマズレディ撃破。称号:「全ての世界を救いし者」

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

真実はいつも蚊帳の外

応仁・文明の乱
 15世紀後半の内乱。応仁元(1467)年に起こり、一応の決着をみた文明九('77)年まで続いた。応仁の乱ともいう。
 将軍足利義政*1の弟義視*2と子義尚*3の、さらに畠山・斯波両氏の相続争いを契機に、細川勝元*4山名持豊*5の二大勢力が激突。本陣の位置関係から細川方を東軍、山名方を西軍と呼んだ。この乱により幕府権力は失墜、荘園制は崩壊、在地武士勢力が台頭。戦国大名の領国化が進展した。(『平凡社日本史事典』より引用)

 なんだみんな結構日本史好きなんじゃん!正直なんで売れたかよく分からん2017年ベストセラー本。よく「応仁の乱を分かりやすく解説〜」なんて大嘘のキャッチコピーつけられて本棚に並んでますが、中身はかなりガチの学術書。「『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』を底本に〜」って、時点でかなり禍々しいんですけど。ハードカバーなのとシリーズものなのを除けば、『逆説の日本史8〜中世混沌編』や『戦争の日本史9〜応仁・文明の乱』の方がよっぽど分かりやすい「物語」としての応仁の乱を展開解説してくれてます。てな訳で、売れればいいやの精神の書店の皆さんは要反省の一冊です。

退屈で陳腐なEVERYDAY

 と悪口ばかりになりましたが、内容自体は、本書のメインテーマの「応仁文明期における興福寺衆徒」の活動パートと一般書としての体裁を保つための応仁の乱概説パートを行ったり来たりして読みづらいのを除けば、歯応えもありつつ比較的読みやすい一冊です。まあ最低限、一度は大学レベルの日本史学の論理展開と史料の扱いに触れてないとかなりきついでしょうが。ホントなんで売れたんだこの本。

疾風になれ

疾風になれ

帰って来た今日の一行知識

応仁の乱で著名な武将は誰も戦死してない
小競り合い続きのゲリラ戦ばっかだったのがよく分かりますね。だから今一人気でないんだろうなあ。

*1:室町第8代将軍。左大臣。父義教、母日野重子。旧名:義成。細川勝元畠山持国らに擁立され将軍就任するも、「三魔」と仇名される佞臣を重用する側近政治を行うなどした為人心は離反。更に養嗣子の義視と実子義尚の後継争いが応仁の乱に発展して以降は完全に当事者能力を喪失し、隠遁先の銀閣寺で東山文化を花開かせた。

*2:大御所。父足利義教、母小宰相局、養父足利義政。旧名:義躬。法名:義尋。浄土寺門跡だった所を兄義政の求めにより還俗し、将軍後継となるも、甥義尚の誕生により、継嗣問題は応仁の乱に発展。一時は美濃に亡命するまでに零落するも、義尚の死により復権。義姉日野富子と共に息子の義材を擁立し、幕権を牛耳った。

*3:義煕。室町第9代将軍。内大臣。父足利義政、母日野富子山名宗全に擁立され、叔父義視との将軍後継争いが応仁の乱に発展。乱後将軍に就任してからは、動揺する将軍権力の復活に尽力するも六角征伐にて陣没。

*4:室町幕府第16・18・21代管領。武蔵守。父持之、母京極高光女。岳父山名持豊との提携により畠山持国を逐い管領就任。赤松氏の再興問題で宗全と袂を分かってからは、畠山・斯波両氏の家督争いで代理戦争状態となる。次いで起こった足利義政の後継者問題でその対立は頂点に達し、応仁の乱を引き起こすに至った。

*5:室町幕府侍所頭人。右衛門督。父時煕、母山名氏清女。法名:宗全。兄持煕との家督争いに勝利し家督相続。幕府内でも宿老として重きをなし、嘉吉の乱での軍功によりその勢威は頂点に達した。隠居後、娘婿の細川勝元との提携により幕府を牛耳るも、赤松氏再興問題を契機に関係は破綻。以降は畠山・斯波両氏の家督争いなどで角逐し、最終的には足利将軍家の継承問題で応仁の乱に発展した。