脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

真勝寺

痛いニュース(ノ∀`) : 鳩山元首相がAIIB顧問に就任 中国側、日米切り崩し狙う - ライブドアブログ
難しいことは言いません。さっさと弟に会いに行っておいで。


 大家さんから「壊れた湯船直してあげる」とのありがたいお言葉。さあ頑張ってうち片付けよっと。


競馬進捗・・・H28収支-18700

時代の荒野を荒野を突き抜けて

真勝寺
 真言宗智山派。本尊:如意輪観世音*1山号:岩峰山。
 真勝寺にはある伝説が伝えられています。奈良時代中期(710〜794)、聖武天皇*2の時代のこと。国分寺建立の詔勅を発したとき、厄年だった光明皇后*3がご懐妊に。安産祈願のため二体の如意輪観世音像を行基菩薩*4が彫り、一体を帯解寺(奈良県今市町)の本尊とし、もう一体を難産に苦しむ女人を救済するために立田川に流しました。ある日、村人が海中に光を発見。村人・青木真勝が船を沖に漕ぎ出して海藻から引きあげてみると、観音像が現れたのです。それは行基が立田川に流した如意輪観世音像でした。驚いた真勝は、海中から引き揚げたこの観音像を岩峰山に奉安しました。全国行脚していた行基からこの話を伝え聞いた聖武天皇はいたく感銘され、岩峰山真勝寺の勅号を下されたといわれています。如意輪観音は6つの手を持ち、安産・火除・厄除の観音様として信仰を集めており、当寺にはいまも安産の絵馬が数多く奉納されています。(安房国札観音霊場巡りより引用)


 安房国札48観音霊場めぐり第二弾。流石に全部回る気力はないので番号飛ばして4番札所の眞勝寺。こないだ行った那古寺の一個手前の富浦駅が最寄り駅。なので道中の感想はほぼ一緒。肝心の境内は一面の枇杷畑と咲き誇る全く剪定のされてない満開のアジサイで一杯。本堂に続く階段も苔むして雨上がりに歩くのは危険がいっぱい。挙句の果てに往時は豊浦湾を一望できたであろう景観も今となっては南房総市富浦体育館の赤屋根が視線を遮ってがっかりの極み。ぶっちゃけ廃寺・・・としか思えない荒れ果てよう。ただ断崖に穿たれた石窟に佇む慈母観音像は、荒残の廃墟にあってなお、いやあってこそ荘厳な感動を与えてくれます。往時はさぞ壮観であったであろうと思わせる今はもう主のない石窟の数々もそれはそれで風情が・・・。なんにせよ、諸行無常を感じさせるひと時でした。

次元の扉を突き破り

 鞄に本だけ詰め込んでの小旅行を始めて早4か月。地味に休みが楽しみになってまいりました。問題は翌日以降の勤労意欲が根こそぎにされてしまい、社会人としての余暇の過ごし方としては失格な点。何か気分転換としての「趣味」を早く見つけられるといーなー。

VICTORY

VICTORY

帰って来た今日の一行知識

枇杷の実の可食部分の割合はバナナとほぼ同じ約70%
種がでかくて食える部分が少ないってイメージでしたが、皮が薄い分意外と可食部分多いんですね。

*1:चिन्तामणिचक्र。観音菩薩の変化身の一。六観音の一として、如意宝珠と法輪を手に天界を摂化する。

*2:第45代天皇。諱は首。父文武天皇、母藤原宮子。長屋王の変天然痘の流行・藤原広嗣の乱などの数々の変事に恭仁京難波宮紫香楽宮へと遷都を繰り返し、後には仏教に帰依し東大寺の大仏を造営した。

*3:聖武天皇皇后。諱は安宿。父藤原不比等、母県犬養橘三千代。子に基皇子称徳天皇藤原四兄弟の謀略により長屋王の変を経て立后人臣初の皇后となる。夫の聖武天皇と共に深く仏教に帰依し、悲田院・施薬院の設置などの社会福祉政策を行なった。聖武天皇死後は皇太后として、甥の恵美押勝を寵愛擁立し、朝廷の実権を握った。

*4:大僧正。父高志才智、母蜂田古爾比売。道昭・義淵らに師事。民間伝道を政府に憎まれ弾圧されるも、聖武天皇にその人脈を必要とされ大安寺に招聘。東大寺大仏建立に尽力した。