脱積読宣言

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『徳富蘇峰終戦後日記Ⅳ〜『頑蘇夢日記』完結篇』

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 新しく入った部下が麻雀を嗜むというので、上司の威厳を見せつけよう親睦を深めようと卓を囲んだら見事に返り討ちにあいました。なんだ10本場って初めて見たぞ。


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徳富蘇峰 終戦後日記 (4)  『頑蘇夢物語』完結篇

徳富蘇峰 終戦後日記 (4) 『頑蘇夢物語』完結篇

使い捨てられる試作品生きるのは自分だろうか

徳富蘇峰
 文久三(1863)〜昭和三十二(1957)年。明治-昭和期の評論家。肥後国上益城郡杉堂村出身。徳富一敬*1の子。本名:猪一郎。
 熊本洋学校時代にキリスト教の感化を受ける。同志社中退。1882大江義塾を創立。'86上京し、『将来之日本』を刊行、文名を高める。'87民友社を設立、『国民之友』を創刊、総合雑誌の先駆となる。学者、文化人、作家を動員し平民主義を鼓吹。'90『国民新聞』を創刊。『新日本之青年』('87)で地方青年への指針を与え、『吉田松陰』('93)では維新革命を高く評価、さらなる第二の革命を待望。日清戦争前後から次第に国家主義に移行、弟徳富蘆花*2と決別した。1911貴族院議員。大正期に入り『近世国民史』('18-'62)を書き始め、全百巻の大事業となる。'42大日本言論報国会会長。'43文化勲章受章。戦後は戦犯に指名されたが、老齢と病気のため自宅拘禁、一切の公職、公賞を辞す。(『新潮日本人名辞典』より引用)

 昭和二十二年年頭から絶筆までの半年間の日記。東京裁判に提出した供述調書がぼろくそにGHQに怒られてへこんだか、現実逃避の自分語りに紙幅のほとんどを割いています。なので、内容は日記というよりほとんど自伝の趣。明治後半を第一線で走り抜けた言論人兼フィクサーとしての大活躍を堪能できます。大隈や桂など登場人物のスケールがでかいのも◎。近代最高の言論人の生きざまをご覧あれ。

この領域に浮かび上がる残骸が生きた分身に見え始めた

 祝『頑蘇夢日記』読了。このシリーズは流石徳富蘇峰ってレベルで読みやすかったのですが、なんでこう日記文学ってジャンルはこう読みにくいんでしょうね。人に読ませるってことを想定してないからどうしても自分にだけ分かる表現や記述ばかりになってしまうんでしょうか。このブログのその悪弊に陥らないように気を付けよっと。

Prototype

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帰ってきた今日の一行知識

徳富蘇峰はクリスチャン
麻生閣下といい、骨太の愛国者には結構多いんですね。

*1:熊本県典事。父美信。横井小楠に師事し、その一番弟子として高名を馳せ、熊本県の教育・行政に尽力した。

*2:健次郎。父一敬、母久子。代表作:『不如帰』・『黒潮』(小説)、『自然と人生』(随筆)他。