脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『白村江〜古代東アジア大戦の謎』

痛いニュース(ノ∀`) : 女子大受験で男性提訴へ 「性別理由に不受理は違憲」 - ライブドアブログ
是非最高裁までもつれて桜井龍子に裁いてもらいたいですね。


 最近古巣の方々が大暴れしてくれてるお蔭で、年配の上司に「中核派中核派」とからかわれてばっかりいます。そんなにお望みなら、労組でもなんでも立ち上げたるぞこの野郎。


SRWZⅢ時獄篇進捗

  • 2周目第52話「闇と陰と暗黒と」暗黒大王と交戦中。トップエース:相良宗介@ARX-7 アーバレスト。

艦これ進捗

  • 「発動!渾作戦」第一次渾作戦クリア。第一艦隊旗艦:那珂改二。

白村江 (講談社現代新書)

白村江 (講談社現代新書)

挫けた時気付くの人間は一人じゃないって

白村江の戦い
 天智二(663)年八月に朝鮮半島西南部の錦江河口(白村江)で行われた、倭・百済軍と唐・新羅軍との海戦。
 660に滅亡した百済の復興を願う鬼室福信*1らの要請により、倭は人質であった王子豊璋(余豊璋)*2を擁立し軍を派遣して百済を救済した。しかし豊璋と福信の不和が生じて福信が殺されると、唐と新羅の連合軍は百済軍の根拠地で錦江下流にある周留城(州柔城)の攻略を目指した。倭軍は唐の劉仁軌*3の水軍と白村江で2日間に亘って戦い大敗を喫した。その結果、周留城は陥落、豊璋は高句麗に逃げ、百済は完全に滅亡し、倭国百済の王族・貴族が多数亡命した。倭国は、北九州・瀬戸内沿岸に城を築き、都を近江の大津宮へ遷して防衛体制を固め、政治体制の改革に努めた。(『岩波日本史辞典』より引用)

 乙巳の変から白村江での大敗まで、白村江の戦いを唐の朝鮮半島介入政策から引き起こされる極東の動乱をベースに描いています。前半は唐の高宗・新羅の金春秋・百済義慈王、そして我らが倭国の孝徳・斉明両天皇のそれぞれの事跡と朝鮮半島に抱える利害関係を丁寧に解説してくれているので、7世紀中葉の東アジアと言うか朝鮮半島情勢の入門に最適でしょう。で、肝心の合戦絵巻も、通常こういった学者先生の筆になるものは味も素っ気もないのが常なのですが、この著者は誠実な史料批判を怠らずも適宜空想の羽を伸ばすというかなりバランスのとれた叙述で、一本の読み物としても上出来。梅原猛松本清張井沢元彦と言ったやり過ぎな方々しか知らなかった古代史家にようやく真っ当な先生を見つけました。

選んだこの道たとえ荒れ果てていても

 朝鮮にはかかわるな!日本が最も滅亡に瀕した時期と言えば、先の敗戦とこの白村江の敗戦が挙げられるでしょう。両方とも共通点は朝鮮半島にちょっかいだして当時の超大国の目の仇にされたこと。今後近いうちに絶対に来るであろう朝鮮紛争に於いては、歴史に学ぶ賢明さを持って、傍観に徹したいものです。

don’t be discouraged

don’t be discouraged

帰って来た今日の一行知識

天智天皇は重度のシスコン
当時の常識では母が違えば今の従兄妹くらいの感覚なんですが、よりによって当時でも完全アウトの同母妹間人皇女に手を出してます。そんなんだから弟の大海人に皇統横取りされるんだ。

*1:佐平。百済の遺臣として新羅に抵抗。余豊璋の擁立と倭国の支援を取り付け反撃に出るも、讒言により余豊璋の不興を買い処刑。

*2:義慈王倭国の人質として出されるも、百済の滅亡に伴い鬼室福信に擁立され挙兵するも白村江の戦いに敗れ高句麗に亡命。高句麗滅亡後は唐に引き渡され流罪とされた。

*3:左僕射。文昌左相同固閣鸞台三品。汴州の人。字は正則。太宗の寵愛を受けるも讒言と遼東攻略での失態により失脚。百済征討と白村江の戦いに功あり復権。その後も高句麗平定や唐・新羅戦争に功あり累進。