脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

ALI PROJECTと長野オリンピック騒動記と保守本流について

http://alfalfalfa.com/archives/7047154.html
選挙ってのは屑の中からまだマシなクズを選ぶ作業とは知ってはいますが、それにしたってもう少しきちんとした方はおられないのでしょうか。小池とか蓮舫とかの名前が挙がってた頃がもう懐かしいよ。


 先の三連休広島の実家に帰省してまいりました。「そろそろ広島で仕事を探したらどうだ」の決まりきったお説教を今回ばかりは聞き流せなかったのはやはり大分心が病んでるからなんでしょうね。

どんなに飾りたてた言葉よりもずっといつでもその勇気信じてる

ALI PROJECT

2011-02-23
2011-01-30
2010-01-09
2009-10-21
2009-08-09
2008-11-18
2007-11-10
2007-09-23
2007-06-11
2007-05-10
2007-02-27
2007-01-27
2007-01-22
2007-01-15
2006-12-27
2006-11-26
2006-11-09
2006-10-08
2006-10-03
2006-07-08
2006-04-09

ALI PROJECT
 宝野アリカ*1(ボーカル・作詞)と片倉三起也*2(作曲・編曲)による日本の音楽ユニット。通称は「アリプロ」など。
 1984作詞家の松本一起*3片倉三起也宝野アリカを紹介。'85蟻プロジェクトとして活動を開始。'86第1回サンチェーン・ミュージック・バトルロイヤルに参加。細野晴臣特別賞を受賞。'87コンピレーション『SOME GIRLS - REBEL STREET IV』に参加。'88アルバム『幻想庭園』でインディーズデビュー。'92シングル『恋せよ乙女〜Love story of ZIPANG〜』で東芝EMIよりメジャーデビューするとともにALI PROJECTに改名。'95東芝EMIとの契約が終了する。その後は特定のレコード会社とは契約していない。'97渡辺剛*4が楽曲制作に初参加する。2000過去に廃盤になったCDを再発するため、プライベートレーベルであるZAZOU Recordsを設立。'01シングル『コッペリアの柩』から、いわゆる「黒アリ」路線になる。'02ストリングス楽曲中心の定期ライブである『月光ソワレ』が初めて開催される。'03慶應義塾大学「情の技巧」特別講師として演奏講演。'07ZAZOU Recordsの運営終了が告知される。'08オフィシャルファンクラブ「アリプロマニア」が解体され「勇侠会」が新たに発足される。'09EMIミュージック・ジャパンより『月下の一群』・『DALI』・『星と月のソナタ』が再発売される。また、オフィシャルファンクラブ「勇侠会」にてZAZOU Recordsが復活する。(wikipediaより修整引用)
ディスコグラフィー
アルバム
『幻想庭園』、『月下の一群』、『DALI』、『星と月のソナタ』、『Noblerot』、『Alipro Mania』、『jamais vu』、『CLASSICS』、『Aristocracy』、『EROTIC & HERETIC』、『月光嗜好症』、『エトワール』、『Dilettante』、『神々の黄昏』、『Deja Vu 〜THE ORIGINAL BEST 1992-1995〜』、『COLLECTION SIMPLE PLUS』、『Romance』、『薔薇架刑』、『Psychedelic Insanity』、『Grand Finale』、『禁書』、『桂冠詩人 SINGLE COLLECTION PLUS』、『Poison』、『La Vita Romantica』、『Gothic Opera』、『QUEENDOM』、『Les Papillons』、『汎新日本主義』、『贋作師』、『快恠奇奇 ALI PROJECT Ventennale Music, Art Exhibition』、『令嬢薔薇図鑑』

 我らがアリカ様率いる音楽ユニット。ロリータを出発点にゴシックを経て現在は和様に耽溺するとってもふり幅の大きな作風が魅力。和洋やイデオロギーを問わない「美しければそれでいい」な美意識は日本人の唯美思想の具現者と言えなくもないのでしょうか。楽曲は個人的には「禁じられた遊び」〜「勇侠青春謳」あたりが全盛期で現在はちょっとマニアックになり過ぎてるかなってのが正直な感想。かなり癖が強く決して万人にお勧めできるアーティストではありませんが、気になった方はどうぞご一聴を。はまると二度と止めれませんぜ、旦那。

長野オリンピック騒動記

2009-02-04

長野オリンピック騒動記
平成十(1998)年1月26日初版発行
著者:相川俊英*5、装幀者:間村俊一*6、発行者:加瀬昌男*7、発行所:草思社
目次
はじめに 四番目のタブー
第1章 五輪騒動のはじまり
第2章 招致大キャンペーン
第3章 引きずり降ろされた男
第4章 "お召し列車"が行く
第5章 反対派はひとにぎり
第6章 不思議なNAOC
第7章 盛り上がれない市民たち
第8章 子供たちの長野五輪
第9章 ホワイトスノー作戦
第10章 迷走する財政計画
第11章 数十年分の公共投資
第12章 それでも繰り返される五輪騒動
あとがき

 原田の涙の雪辱大ジャンプと閉会式の欽ちゃんの痛々しさ位しか印象にないこの大会ですが、内情は中々どろどろの権謀術数渦巻く百鬼夜行だった模様です。ノープランの思いつきで走りだしたはいいが、誰もまともな計画立案できる人材も建設的な反対反対意見を出せる空気もなかった所為で、公約破りや予算の無定見な膨張の嵐となった典型的な腐れ地方行政の見本市と成っています。田中康夫に現実逃避したくなる気持ちもよく分かります。此度のリニア路線の強引かつナンセンスな横槍といい、信州人の民度を疑いたくなってしまったのは内緒です。
 しかし、オリンピックへ招致の決定過程と各種団体の不透明な運営の弾劾だけでは本一冊持たすにはちとネタに乏しいようで、後半は坊主憎けりゃ袈裟までのイチャモン付けの様相を呈しています。特にドサクサ紛れで自身の常々の主張たる不法滞在外国人問題まで、無理やり結びつけてる辺りには嫌悪感を抱かずにはいられません。良くも悪くも義憤を掻き立てられるよく出来た週刊誌の特集記事といった風情なので、頭を使わない時間潰しには丁度いいんではないでしょうか。来たるべき第二次東京五輪の予習本としてどうぞ。どうせきっとこれの斜め上を行ってくれるんでしょうけど。

長野オリンピック騒動記

長野オリンピック騒動記

  • 作者:相川 俊英
  • 発売日: 1998/01/01
  • メディア: ハードカバー

保守本流

2009-07-05
2006-09-11

保守本流
 吉田茂*8が率いた旧自由党系の流れを汲み、池田勇人*9佐藤栄作*10など官僚出身者*11を中心とした勢力を指しており、1955保守合同によって自由民主党に合流した鳩山一郎*12岸信介*13河野一郎*14などを中心とする旧改進党・日本民主党のどちらかといえば党人派を中心とする系統に対立して用いられた。政策的には吉田茂の主導した軽軍備・日米安保体制を基軸とし、国際貿易を通じた経済成長などに特色があり、戦後日本の進路を大枠において確定させたということができる。
 自由民主党においては、池田勇人が池田派(宏池会)、佐藤栄作が佐藤派(周山会)を形成し、佐藤派は佐藤後継をめぐる田中角栄*15福田赳夫*16との激しい総裁選を田中が制した結果、田中派木曜クラブ、のちに竹下派経世会))となった。田中角栄内閣以降、1990年代までこの2派がほぼ一貫して主流となって政権を構成した。大平・鈴木善幸・竹下・宮沢・橋本・小渕内閣は両派の領袖が総裁となり、三木・中曽根・海部内閣では両派が中間派閥を支持した例である。これに対して福田は、「十日会」と「党風刷新連盟」、のち「紀尾井会」に分裂した岸派を糾合して福田派(清和会)を形成、ハト派的な主流派に対して憲法改正などタカ派的政策を掲げて対抗し、中曽根派・三木派など中間派を交えて、激しい抗争を数次にわたって繰り広げた。
 2009現在では保守傍流の流れを汲む清和政策研究会町村派)が党内第1派閥となり、森派*17出身である小泉純一郎*18首相の長期政権の影響もあり、自民党内において本流・傍流の色分けはほとんど無意味であり、もはや保守本流という言葉は実体を伴わない死語と化している。平成研究会復権や、宏池会系の統合(大宏池会構想)に向けて気勢を上げる合言葉として思い出したように持ち出される程度である。また、傍流とされる清和会のサイトの挨拶にも自ら「保守本流」を名乗る表現も見られる。(wikipediaより引用)

自由党一派所謂吉田学校組を祖とする自民党保守本流」。そんな彼らの歴史を略述。
 自民党発足後しばらくは鳩山・岸らの旧民主党勢に牛耳られ逼塞していた保守本流も、吉田学校の双璧池田・佐藤によってわが世の春を迎えます。次の三角大福の時代には、角福戦争として保守傍流と血で血を洗う争いを繰り広げますが、佐藤派を継いだ田中角栄の政治力もあり一貫して党主流派の座を譲りませんでした。続く鈴木・中曽根時代には田中角栄キングメーカーとして君臨し、その存在感を見せつけますが、竹下のクーデターにより角栄の時代は終焉を迎えました。続くニューリーダーの時代には宏池会宮澤喜一経世会竹下登と俊才を揃えて臨みましたが、リクルート事件などで壊滅的な打撃を受け、宏池会からは河野洋平らが、経世会からは小沢一郎らが離脱、保守本流のブランドは地に堕ちます。それでも55年体制崩壊の混乱を乗り切った後には経世会改め平成研究会から橋本・小渕と二代続けて首相を出すも、新世紀に入ると旧福田派の清和政策研究会の台頭により保守本流の凋落は歯止めのきかないものとなっていきます。まず宏池会では次代のプリンスと将来を嘱望された加藤紘一加藤の乱で壮絶な自爆で失脚し、小里派堀内派に分裂の憂き目に遭いました。もっと悲惨なのは平成研究会。まず森後継の総裁選で返り咲きを狙った橋本龍太郎が小泉旋風に煽られてまさかの落選。小泉政権が長期化する中で完全に標的とされほぼ壊滅状態に陥ったのでした。現在の安倍政権下では宏池会が岸田外相を筆頭に4人、平成研究会が新藤総務相を筆頭に3人入閣するなど息を吹き返しつつあります。とかく右傾化の叫ばれる昨今。再び穏健保守の雄たる「保守本流」が日の目を見る日は訪れるのでしょうか。

いつか君が人生につまずいて涙流しても

 約半世紀に亘り保守本流が主導してきたハト派政策もようやく役目を終わりALI PROJECTなどに見られる戦前回帰の風潮が見られ始めました。正直広教組の洗脳教育にみっちり揉まれた身としてはそれが正しい事なのかどうかを判断できる術は持ち合わせておりませんが、予感としては来たる東京オリンピックの成否こそがそれの象徴となる予感がします。願わくは『長野オリンピック騒動記』のような醜態だけは晒しませんことを。絶対に閉会式のプロデュースを秋元とかにだけは任せないでくださいね。せめてクドカンかたけし*19でプリーズ。

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  • アーティスト:杏里
  • 発売日: 1994/11/18
  • メディア: CD

帰って来た今日の一行知識

戦後の総理大臣で首都圏外の大学を卒業しているのは京都帝大卒の池田勇人だけ

地方の一流国公立より首都の三流私大の方が重用されるってのはマスコミの世界だけじゃなかったんですね。どおりでどっちも胡散臭いのしかいない訳だ。

*1:代表作:「亡國覚醒カタルシス」、「聖少女領域」、「私の薔薇を喰みなさい」(作詞)他。

*2:代表作:『マリア様がみてる』、『.hack//Roots』、『怪物王女』(音楽)他。

*3:代表作:「ジプシー・クィーン」、「夏の日の1993」、「It's BAD」他。

*4:ヴァイオリニスト。代表作:『GET』(アルバム)他。

*5:代表作:『神戸都市経営の崩壊』、『横浜改革 密着 1,000日』、『東京外国人アパート物語』他。

*6:代表作:『ジョバンニ』(画集)他。

*7:草思社初代社長。日産自動車を退職後、ヤマハのPR誌『ヤマハニュース』の編集長となる。同誌の休刊により草思社を創業した。

*8:第45・48-51代内閣総理大臣従一位大勲位。父竹内綱、養父吉田健三。親英米の外交官として活躍するも東條に疎まれ逼塞。戦後はそれが幸いし公職追放を免れ首相となり占領下日本の舵取りを任された。戦後復興を成し遂げサンフランシスコ平和条約締結にこぎつけるなど数々の功績を残すもそのワンマンを憎まれ失脚下野。

*9:第58-60代内閣総理大臣。正二位大勲位。父吾一郎、母うめ。戦前は財務官僚として活躍し戦後吉田学校の双璧として政界進出。岸の後を襲い首相就任すると所得倍増計画を立案し高度経済成長を実現させ、東京オリンピックを花道に勇退

*10:第61-63代内閣総理大臣従一位大勲位。父秀助、母茂世。戦前は鉄道官僚として活躍し戦後吉田学校の双璧として政界進出。池田からの禅譲により首相就任後は外交に注力し日韓基本条約締結・沖縄返還などを成し遂げノーベル平和賞に輝いた。

*11:いわゆる吉田学校

*12:第52-54代内閣総理大臣。正二位大勲位。父和夫、母(多賀)春子。孫に由紀夫・邦夫。政友会久原派の重鎮として活躍。戦後自由党総裁として戴冠を目前にするも、滝川事件への関与を憎まれ公職追放。復帰後は反吉田の筆頭として角逐。首相就任後は保守合同による55年体制の確立や日ソ国交回復、国連復帰などの輝かしい業績を残し、日ソ共同宣言を花道に勇退

*13:第56-57代内閣総理大臣。正二位大勲位。父秀助、母茂世。戦前は商工官僚として満州の経営などに手腕を見せるも、それが祟ってA級戦犯指名を受ける。解除後は日本民主党の結党に参加。石橋湛山の病気退陣により首相就任すると現在に続く国民皆保険・年金などの社会保障制度を制定するも、タカ派的な政策と言動により学生運動の高揚を誘発、日米安保条約改定を置き土産に退陣。以降も政界に影響力を保持し続け「昭和の妖怪」と渾名された。

*14:鳩山一郎内閣農林大臣。従二位勲一等桐花大綬章。父治平。孫に太郎。戦前から政友会の剛腕党人として活躍。戦後鳩山一郎を担いで日本自由党を結党するも公職追放により下野。解除後は反吉田の急先鋒として鳩山戴冠に奔走。鳩山首相実現後は日ソ共同宣言採択などに功を残す。鳩山死後は党人派の筆頭格として吉田学校の面々と角逐するも敗北。

*15:第64-65代内閣総理大臣。陸軍上等兵。父角次、母フメ。子に真紀子。佐藤栄作に寵愛され当時最年少で自民党幹事長を勤めるなど累進。角福戦争に勝利し首相就任。日中共同宣言などの功を挙げるも、オイルショックなどにより肝心の日本列島改造計画は頓挫し金脈問題により下野。その後ロッキード事件の発覚により表舞台からは失脚するも、三角大福及び次代の中曽根内閣まで闇将軍として君臨し続けた。

*16:第67代内閣総理大臣。正二位大勲位。父善治。子に康夫。大蔵官僚として将来を嘱望されるも昭電疑獄に連座し失脚。政界進出後は岸派の秘蔵っ子として活躍。ポスト佐藤の筆頭に擬せられるも角福戦争や椎名裁定などで何度も煮え湯を飲まされながらも大福密約により首相就任。しかし、不透明な戴冠経緯やダッカハイジャック事件などの失態により支持率は低迷し、大福戦争に敗れ下野。以降も四十日抗争やハプニング解散の主役となるなど角栄と並ぶ政界の黒幕として君臨するも二階堂擁立構想の失敗により失脚。

*17:町村派

*18:国際公共政策研究センター顧問。第87-89代内閣総理大臣。父(鮫島)純也、母芳江。子に孝太郎、進次郎。YKKの一角として頭角を顕し早くから総裁選に幾度も出馬。森後継を争う総裁選で圧倒的橋本有利の下馬評を小泉旋風で覆し首相就任。北朝鮮からの拉致被害者奪還や聖域なき構造改革による景気回復などの功績を残し、小泉劇場による郵政選挙での歴史的大勝を花道に下野。

*19:主催の東国原知事の頭をピコハンで叩きまくる総合プロデューサーって結構シュールでいいかも