脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『マヤ文明〜世界史に残る謎』

http://hamusoku.com/archives/6931583.html
都営新宿線ユーザーの攻略法としては、歌舞伎町に行くときは大人しく新宿三丁目で降りる。アルタ方面は南口から出て外周から攻める。西口方面は・・・諦めて30分位迷う。


 色々あって憑き物が落ちて精神衛生上大分健康を取り戻したのですが、以前の経験から行くとこの開き直った状態が社会人やる上では一番危険。今ならどの上司とも腹割って話せる気がする。


SRWZⅡ再世篇進捗

Cuz I know this flame isn't dying

マヤ文明 Maya
 中米のメキシコのユカタン半島からグアマテラ・ベリーズホンジュラスの西部で栄えた文明。通常低地南部・低地北部・高地の3つの地域に分けられ、時代区分は、形成期・古典期・後古典期に分けられる。低地南部の熱帯雨林地域の河川流域で、紀元前1000年、またはもう少し前より土器を持った定住生活が始まり、紀元前後は既に都市の様相を備えるまでに達した。3世紀から10世紀初めまでの古典期は、沢山の都市国家が互いに密接な関係を保ちながら最も栄えた時代で、正確な天体観測、260日暦と365日暦という循環暦、西暦と同じように基準点(暦元)から数える仕組みの長期暦、文字、ピラミッドと神殿、宮殿の建築複合などに特徴がある。年毎に、また地域毎に異なる特徴を備えていたが、文字や暦を共有していることから判るように共通の文化を持っていた。考古学の成果に加え、最近では文字の解読により、特に、碑文資料を持つ292年から909年までの歴史は、王朝史として再構成されるに至っている。低地南部の古典期文明が崩壊したのち、後古典期文明が、北部低地で栄えた。その前期はチチェン・イツァー、後期はマヤパンという一都市集権的な時代へと変わった。1440頃マヤパンの支配が終わったのちは、小さな王国に分かれ、互いに争う時代となった。文字による記録を失ったが、歴史は『チラムパラムの書』などの伝承文学に不明瞭な形ながら伝えられた。(『角川世界史辞典』より引用)

 謎の多いマヤ文明の概説書たらんと蟷螂の斧を振りかざした意欲作。ポンポンとテンポよくわからないところは分からないままで進んでいく議論の進め方はなかなかに好印象なのですが、途中で力尽きたのか、後半は完全に自分のユカタン半島探訪記っつーか自分で撮った遺跡の写真自慢になっているのが残念。とはいえ、マヤ文明は自身の常識を揺さぶるには最良のテキスト。日本とも中国とも西洋とも異質な文明の酩酊感をご堪能ください。あそこなら、石仮面の一つや二つ転がってても不思議ではないやって思わせてくれますよ。

The future I cannot forget

 ノストラダムスの大予言に次ぐ人類の数多抱える予言の日たるマヤのカレンダーの実行期日も早半年に迫って参りました。誰が実行委員なのかは知りませんが今度こそは全うなイベントにしてくれるのでしょうか。思春期をノストラダムスの大予言からの逃避と克服に費やした身としては、是非次の世代にも同じ恐怖とがっかり感を味わってもらいたいものです。メメント・モリは大事ですよ。

For Your Entertainment

For Your Entertainment

帰って来た今日の一行知識

マヤでは首を吊って死ぬと天国に行けると信じられていた
自殺を忌避するキリスト教とは真逆の発想。スペイン人が執拗なまでに彼らを抹殺した理由が分かる気がします。