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速報性でネットに完敗している現状で存在意義はほとんどないと思います。
気が付けば10連勤とかが日常茶飯事に。全休の日は逆に時間を持て余すようになってきたあたり、私も着々と従順な社畜への道を歩んでいるのでしょうか。
第二次世界大戦―ヒトラーの戦い〈12〉アルデンヌ・最後の反撃
- 作者:児島 襄
- メディア: 単行本
YOU GET TO BURNING
第二次世界大戦 World War Ⅱ
1939年9月1日〜'45年8月15日、日本・ドイツ・イタリアの枢軸国とアメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国を中心とする連合国が戦った戦争。ファシズム対民主主義の戦いと言われたが、帝国主義戦争、被圧迫民族の解放戦争などの性格が複雑に絡み合っていた。
世界恐慌後の日本の大陸進出、ドイツ・イタリアの膨張政策により国際的対立が激化(日中戦争、スペイン内戦、ドイツのオーストリア併合、ミュンヘン会談、チェコ併合など)し、1939.8独ソ不可侵条約成立、'39.9ナチス・ドイツのポーランド侵入、イギリス・フランスの対独宣戦によって開始された。イギリス・フランスの戦時体制は遅れ、ポーランドはドイツ・ソ連に分割され、'40.4ドイツはスカンディナヴィア半島を制圧、'40.5西部戦線に電撃作戦を行ってベルギー・オランダを占領、マジノ線を突破してダンケルクでイギリス・フランス軍に大打撃を与えた。'40.6フランスは降伏し、国土の北半はドイツの占領下に置かれ、南半には親独政権であるヴィシー政府が成立したが、ド=ゴール*1はロンドンに抗戦政府を作り、内外ではレジスタンス運動が続行された。イギリスはチャーチル内閣により徹底抗戦体制を固めたが、戦線は枢軸側の優勢の裡に北アフリカ・バルカン半島に拡大した。ソ連は中立を維持して西部国境の拡張に努めていたが、'41.6ドイツは独ソ不可侵条約を破って侵攻を開始し、'41.12日本も太平洋戦争に突入、ドイツ・イタリアの対米宣戦によって戦争は世界に拡大した。しかし、'42後半連合軍は反攻に転じ、ミッドウェー・ガダルカナル・北アフリカ・スターリングラードで勝利を収め、中国の抵抗とあいまってファシズム勢力は後退し始め、'43.9イタリアは降伏した。'44.6ノルマンディーに上陸した連合軍は、ソ連と呼応してドイツ領に進撃し、'45.5ソ連軍のベルリン占領によりドイツも降伏、'45.8アメリカの広島・長崎への原子爆弾投下とソ連参戦により日本も無条件降伏し、ここに第二次世界大戦は終わった。
アルデンヌ反撃作戦からヤルタ会談まで。あれだけ隆盛を誇ったナチスドイツも、最後っ屁のアルデンヌ大反抗作戦も分水嶺となるような失策も相手のファインプレーもないままずるずるといつの間にか攻め手が切れて頓挫。精根尽き果てソ連の蹂躙に任せるままのマグロ状態になっています。一方の連合国側も、一人我が道をゆくキングオブジョンブルモンゴメリー将軍の暴走に頭を抱えるアイゼンハワー将軍の奮闘記と、そんな西部戦線を横目に今までの鬱憤を晴らさんと破竹の快進撃(大虐殺付き)を繰り広げるソ連軍の対比が秀逸です。戦闘面では見るべきもの既に見つってな「作業」の段階に入っていますが、そうなると今度はスポットライト浴びるのが、ドロドロ外交交渉。チャーチル・ルーズベルト・スターリンの三巨頭の冷戦に向けた胎動が、新章への期待を否が応にも掻き立てます。そんな状況下で対ソ同盟で英米との和議を模索しようとしたヒトラーの感覚は鋭いんだか狂ってるんだか。とまれ、正直もう第二次世界大戦自体はほぼ「終了」してしまっていますので、偉大なる総統閣下の最期を最後まで見届けねばってな忠誠心のない方はそろそろ切ってもいいんじゃないかとも思います。
夢色チェイサー
貧すれば鈍するとはよく言ったもので、どれだけ偉大な英雄も一旦くすぶり始めるとその明晰なる叡知もどろっどろに曇ってしまいます。ドイツの対英米終戦工作とか、日本の対ソ終戦工作とかはその極みでしょう。心が弱ると明らかな詐欺師ってゆうか、とって食ってやろうと手ぐすね引いて待ってる輩すら白馬の騎士に見えてしまいがちです。そうならない為にも頽勢にまわり始めたら、一発逆転の希望は捨てて大人しく損切りの撤退をいたしましょう。まあそんな理性的な判断ができなくなるからこそ博打と経営は怖いんでしょうけどね。