脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『台湾〜四百年の歴史と展望』

http://blog.livedoor.jp/arbu/archives/1894352.html
今こそ正念場汚名挽回の刻。今回ばかりは民主党を応援します。


 ところ変わって、京都では実に醜い内部抗争が勃発中。中央の大将に調整能力が皆無というのはかなり痛いです。

台湾―四百年の歴史と展望 (中公新書)

台湾―四百年の歴史と展望 (中公新書)

以建民国以進大同

台湾 Formosa
 福建省対岸の島。面積約36,000平方km。原住民は高山族(高砂族)であるが、人口の9割は明清以後移住した漢民族で占められる。三国呉の孫権*1が出兵した夷州は今の台湾であろうと考えられる。また隋書に見える琉求は台湾であるか琉球であるか、あるいは両者を含めたものかについては異論が多い。元代にも13世紀の末に2度瑠求(台湾)遠征が企てられたが失敗した。台湾が中国と深い関係を持つようになったのは明以後で、倭寇の根拠地となり、林鳳*2・鄭芝竜*3らが活躍した。ヨーロッパには16世紀ポルトガルによって紹介され、17世紀にオランダ人が来て、台南にゼーランディア城を築き、全島を占領するに至った。1662鄭芝竜の子成功*4は明の遺王を奉じ、オランダ人を駆逐して独立政権を樹立した。清朝は'83鄭氏を滅ぼし、台湾府を置いて統治した。しかし林爽文の乱をはじめ、住民の反乱や械闘が頻発し、統治に手を焼いた。1858天津条約によって開港され、'95日清戦争後の下関条約によって日本の領有に帰したので、我が国は台湾総督府を置いて統治し、産業の開発が推進された。1945日本の敗戦と共に中国に返還され、'49中国共産党との戦いに敗れた蒋介石*5は国民政府をこの地に移し、軍隊と亡命者多数が移住した。(『新編 東洋史辞典』より引用)

 台湾、特亜に囲まれながらも親日を貫く特異な国。そんな愛情に応える為にも、我々は台湾のことをもっと知らなければならない!てな訳で、台湾史の概説書。オランダに鄭氏に清に日本に国民党にと外来勢力に蹂躙支配され続けた小さな島国の人々の抵抗と服従の歴史ってストーリーが紡がれます。その物語が果たして正しいのかは知識不足で判断しかねますが、とまれ、丁寧な解説と読みやすい文章とで入門書には最適。いつまでも特亜の方ばかり向いていずに最良のパートナー候補のことも知るようにしましょう。台湾は何故特亜に堕さないのか?その答えはこの本にあります。

咨爾多士為民前鋒

 上記疑問の答えは、個人的には幾度もの支配政権の交替とそれに伴う血の交雑と既得権威権力の攪拌にあると思います。京都なんかに長く暮らすと純血在地主義の弊害を嫌でも目にします。故なき選民意識に染まった下品な田舎者は見飽きました。やはり活力賦与には新しい血と価値観の導入が不可欠です。

世界の国歌集 (4CD)

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帰ってきた今日の一行知識

アジア初の共和国は台湾にあった
下関条約で日本に割譲される直前に樹立された台湾民主国がそれ。残念ながら、後ろ盾のフランスが三国干渉の成功で満足してしまい、あっさり見捨てられた為、4ヶ月弱で崩壊の憂き目にあってしまいましたが、やはり台湾人には特亜とは一味も二味も違う血が流れてるんですね。 

*1:呉初代皇帝。字は仲謀。父堅、母呉夫人。兄孫策の急死に伴い孫家の家督を継承、内政と人材育成に注力。曹操の南進を赤壁の戦いで撃破し、荊州劉備から奪取し、呉に一大勢力を築いた。魏の曹丕に臣従し呉王に封じられるも、後独立三国鼎立時代をもたらした。

*2:後期倭寇の首領の一人として南海に進出、遂にはマニラに攻め入りスペイン軍とも戦った。

*3:南安伯。字は飛黄。福建省南安市の人。後期倭寇の首魁として、福建省に一大勢力を築いた。南明に服属し清朝と対立するも、黄道周との対立から清朝に降服。息子の鄭成功の懐柔を命じられるも失敗、謀反の嫌疑をかけられ処刑。

*4:字は明儼。肥前国平戸の人。母田川松。旧名:森。通称:「国姓爺」。父の清降服後、アモイ付近の海上勢力を掌握。幾度も大陸進出を企てるも、江戸幕府への5度に亙る援助要求も通らず全て失敗。勢力挽回の為台湾を占拠し根拠地とした。

*5:中正。中国国民党初代総裁。浙江省奉化県の人。父肇聡、母王采玉。孫文の信任を得て国民党右派の代表として活躍。上海クーデターで党政府の実権を掌握。共産党の弾圧を推進するも、西安事件により国共合作に方針転換し、日中戦争に勝利。戦後再度国共内戦に突入するも敗北し、台湾に国民党政府を樹立した。