脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

Silly-Go-Roundと明神弥彦と千利休の遺偈について

育児板拾い読み@2ch あとち お前らの最古の記憶ってどんなんよ?
「明日から幼稚園が始まる。これでポンキッキものんびり見れなくなるのか」という嘆き。ああ、俺のニート気質は筋金入りか。


 外務省まで子供のお遣いしてきたのですが、事前にアポ取ってたとは言え、ボディーチェックは愚か手荷物すらも完全スルーのストレスフリーな入館審査でした。こんなんでテロ対策は大丈夫なんでしょうか?他人事ながらちと心配。

誰も頼らないことに憧れた

Silly-Go-Round+ゴールのつもりで

Silly-Go-Round - 脱積読宣言

Silly-Go-Round
唄:FictionJunction YUUKA、作詞曲・編曲:梶浦由記*1
テレビ東京系アニメ『.hack//Roots』オープニング主題歌。
初出:『Silly-Go-Round』(2006.5.10)
収録音源:『Silly-Go-Round』、『circus』
歌詞はこちら

ゴール
1、決勝線。決勝点。
2、サッカー・ラグビー・バスケットボール・ホッケーなどで、そこに球が入れば得点となる所定の一区画。また、球がそこに入って得点すること。
3、目的。目標。終着点。
4、ゴールインの略。
(『広辞苑 第五版』より引用)

 梶浦節全開のFictionJunction YUUKAの名曲。.hack//ROOTSの本編を見てないので歌詞の深さはよく分かりませんが、「ゴールのつもりでリセットボタンに飛び込んで」のフレーズが非常に印象に残ってます。どんなに行き詰っても短絡的に人生のリセットボタンを押さないようにしたいものです。

Silly-Go-Round

Silly-Go-Round

るろうに剣心+弥彦

1/3の純情な感情 - 脱積読宣言

るろうに剣心
 和月伸彦*2作の漫画。
 『週刊少年ジャンプ』(集英社)誌上において1994年19号から1999年43号まで連載。単行本はジャンプ・コミックスより全28巻。また後に完全版が全22巻で刊行された。タイトルの「るろうに」とは流れ者や放浪者を意味する作者の造語であり、漢字表記は「流浪人」。各話数はそれぞれ「第○○幕」という通し番号になっている。1996テレビアニメ化を最初に映画・OVAとアニメ化もなされている。
 明治時代初期の日本が舞台。登場人物や武術の流派は一部を除いて架空のものだが、赤報隊新選組、そして1878.5.14大久保利通暗殺事件(紀尾井坂の変)など、物語の転換点では史実を絡ませている。
「ジャンプで歴史物は受けない」、「明治時代は漫画にするには難しすぎる」と連載前は編集者に言われたが、その前評判を跳ね返し、人気を博した。登場人物の名前に作者の出身地である新潟県、特に旧越路町を含めた長岡市に関係のある地名や神社の名前が多く使われている。
 全28巻の売り上げは4700万- 5000万部を記録しているヒット作で、海外でも高い支持を受けている。
 本編終了後に後日談的な話として「弥彦の逆刃刀」*3・「春に桜」*4の2作品が読切として存在する。なかでも「弥彦の逆刃刀」は発表時に作者自身が「これで剣心の物語は完結です」と同作がこの話によって正式な完結を迎えたことを語っていた。
 剣心の流派である「飛天御剣流」は本作及びそれに付属する読切作品の他に「戦国の三日月」という同作者の読切作品*5にも登場する*6。作者は単行本12巻にて両作に繋がりがあるとも読み取れる発言をしている。(wikipediaより修整抜粋引用)

明神弥彦
 身長128cm、体重23kg。明治元年(1868年)8 月生まれ。血液型B。初登場10歳
東京府士族の少年。明治維新の混乱によって孤児となった。30石2人扶持の下級武士だった父は彰義隊に加わって戦死、母は彼を育てる為に遊郭で働き病死したところをヤクザに拾われ、スリとして働かされていた。その後剣心達と出会ってヤクザと離反。神谷活心流を学び、剣心*7達とともに戦うたびに、少年ながらも、常人離れした精神力・身体能力、そして剣才を発揮し成長していく。
 プライドが高く一本気な性格であるため、子供扱いされることを嫌い、敵味方を始め年長者に対しても物怖じしない発言をする。このことから生意気と取られることもあるが、それは早く剣心たちのような一人前の男になりたいという強い気持ちの表れであり、そのためには血の滲むような努力も厭わず、自分より力量が上の相手に対しても弱者を守るために立ち向かっていく勇気を持っている。また、孤児とはいえ士族の子であることを誇りにしている。作中では斎藤*8と直接交渉を行った事もあり、蒼紫*9や斎藤も彼に一目置いている節がある。実は剣心組の中で唯一薫*10の料理を酷評した事がない人物である。スリに関しては剣心から財布を掏り取ったほどで、本人は不本意ながらも、その技が身を助けることが多々あった。
 後に塚山由太郎*11と共に神谷活心流道場師範代を務め、「白刃取り千本制覇」「東日本でも五指に入る腕前」と称されるまでに成長*12し、剣心からは逆刃刀と彼の信念「不殺」を、左之助*13からは彼の生き様「悪一文字」をそれぞれ受け継ぐ。後に燕*14と結婚。
 名前は越後一の宮弥彦神社」(新潟県弥彦村)に由来。モチーフとしては作者が中学時代に剣道部に居た頃の気持ち(疎外感)が反映されている。(wikipediaより修整抜粋引用)
cv.冨永みーな*15(アニメ)、高山みなみ*16(ドラマCD)。

 剣心の弟分明神弥彦くん。ウルトラマンでいうところのホシノ少年的なポジションで、同年代の少年読者の羨望を一身に集めるのが仕事。なのはずなのですが、何故か剣心の後継者に位置づけられ最終的には斉藤・蒼紫・左之助と並ぶ戦闘要員に。蝙也を独力で斃してしまったのと、その後の作者コメントで「弥彦が強すぎると批判が来た」と愚痴ってるのを見て非常に落胆したのを憶えてます。如何に才能があろうと、ほんの数ヶ月前まで素人だった子供が、女性とはいえきちんとした強さのバックボーンのある薫や操より強くなっちゃああかんでしょう。
 まあ、剣心が一度は強さを極めながらもトラウマによりその力を封印しているタイプの主人公で、精神的にも技術的にもある程度完成しているので、「覚醒」・「解放」は書けても「成長」は書けない為、それを弥彦を託した。という構図はよく分かるのですが、如何せん描き方が致命的に下手糞。才能の片鱗を覗かせつつも実際の戦闘では足手まとい、しかし、敵の眼中になかった彼の活躍で逆転の端緒を掴むって程度の描写にしとけば、ここまで愛されないキャラにはならなかったでしょうに残念です。
 
教訓:敵役以外への作者の偏愛はキャラの魅力をスポイルする。

るろうに剣心 完全版 20 (ジャンプコミックス)

るろうに剣心 完全版 20 (ジャンプコミックス)



千利休+人生七十

千ノナイフガ胸ヲ刺ス - 脱積読宣言

千利休
大永二(1522)〜天正十九('91)年。安土・桃山時代の茶人。堺三十六人会合衆(納屋衆)の一人である魚問屋田中家一忠了専*17の子。祖父千阿弥*18が将軍足利義政*19同朋衆であったと伝え、その一字をとって千家を称したという。通称:与四郎、法名:宗易、号:抛筌斎・不審庵。
 茶の湯を堺の茶人武野紹鷗*20・北向道陳*21に学び、大徳寺の笑嶺宗訢*22に参禅して、名を宗易に改め、1555千宗易会が初めて記録に見える。草庵での簡素で静寂と清浄を旨とする侘数寄の茶道を大成し、茶器及び諸道具に創意工夫をこらした。今井宗久*23・津田宗及*24に随伴して織田信長*25に殊遇されてその茶頭となり、更に豊臣秀吉*26に寵遇されてその茶頭となった。'85利休居士を名乗り始め、'87秀吉主催の北野大茶会では宗及らと後見役を務め、聚楽第の利休屋敷に設けられた茶席不審庵の名は、大徳寺の僧で宗祖の法嗣である古渓宗陳*27の語から名付けられたものである。小田原の役後、大徳寺山門に寄進した金毛閣上に自像を配したことから秀吉に罪せられ、'91自刃した。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

人生
1、人がこの世で生きること。人間の生存・生活。
2、人がこの世で生きている間。人の一生。
(『広辞苑 第五版』より引用)

 利休が処刑の三日前に遺した辞世の偈「人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺」。桑田博士訳によると「七十年もの長い人生を過ごしてきたが、本当にしっかりと大法を会得するのは容易ではないぞ。今や、我が、この明暗の両頭を切断すべき名刀を揮い、仏陀も祖師も共に滅殺し、無位の真人となりおおせたのだ」とのことですが、彼はどのような気持ちでこの遺偈を遺したのでしょうか。個人的な解釈ですが、抛筌斎という号や辞世の歌「提る我得具足の一太刀今此時ぞ天に抛」を見るに、心ならずも手に入れてしまった「内々の儀は宗易に」と囁かれるほどの権威権力を放り投げ、祖師や仏法の規範すらからも超越した個人に戻りたがっていたのではないでしょうか。肥大し過ぎたその名声の為、それを為すには自身の死を以ってせねばならなかったとは、なんという悲劇でしょう。

千利休 (講談社学術文庫)

千利休 (講談社学術文庫)

哀しい日もあるけど僕しかできない旅をしよう

 短めに人生七十年と見積もれば、事故さえなければ私の残り時間は残り40年。なんとも微妙な数字です。るろうに剣心の弥彦のように疑いもせずに輝ける未来に向けて突っ走るにはちと遅く、ゴールのつもりで余生の準備を始めるには流石に早すぎます。個人的にはいつの日にか、千利休と並び立った名補佐役豊臣秀長の様な最高のNo.2になりたいのですが、私のアカシックレコードにはなんと書いてあるのでしょうか。とまれ、所詮往生までの暇つぶし、人生という名のSilly-Go-Roundを悔いなく堪能しようと思います。家族友人各位、そしてまだ見ぬ運命の人へ、あとほんの半世紀、我侭に付き合ってね。

帰ってきた今日の一行知識

逆刃刀の殺傷力は真剣とほぼ同等
因みに木刀や刃引きの刀も同様。冷静に考えればあんな重量の代物フルスウィングされたら伊達では帰れませんよね。峰打ちに気絶とてかげんの付加効果があるのは時代劇だけです。

*1:スペースクラフト所属。代表作:『舞-HiME』、『NOIR』、『魔法少女まどか★マギカ』(音楽)他。

*2:代表作:『武装錬金』、『エンバーミング -THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN-』、『GUN BLAZE WEST』他。

*3:完全版に収録。週刊少年ジャンプ2000年3・4合併号掲載

*4:公式ファンブック『剣心華伝』収録・完全版に収録

*5:単行本6巻、完全版10巻収録

*6:ただし、本作の一部の読切も含めて、名称は「飛天三剣流」となっている

*7:緋村。流浪人。幼名:心太。飛天御剣流を駆使し、幕末期に長州藩配下の人斬り、のちに遊撃剣士として活躍。人斬り抜刀斎の名を轟かせた。維新成就後は流浪人として全国を放浪の末、神谷道場に居つくようになり、志々雄事件の解決などに貢献した。

*8:一。警部補。新撰組三番隊組長として幕末の京都を恐怖に叩き込んだ。新撰組崩壊後は新政府に恭順し、藤田五郎の名で密偵として活躍、「悪・即・斬」の信念を貫き、志々雄事件解決などに功を挙げた。

*9:四乃森。御庭番衆御頭。江戸城御庭番衆の若き天才党首として活躍するも、幕府の崩壊に伴い路頭に迷い、終には武田観柳の用心棒にまで落ちぶれるにいたった。観柳破滅時に残された部下を失い、最強の名のみを求める修羅となるも、剣心との死闘の果て正気を取り戻し御頭に復帰し、「外法の悪党は外法の力を以て葬る」との信念の下に生きた。

*10:神谷。神谷活心流師範。子に剣路。父の死により剣術道場を受け継ぐも、偽人斬り抜刀斎事件により道場は衰退。その事件の渦中で剣心と知り合い心を通じ合わせた。その後、剣術小町と呼ばれる美貌と門下生明神弥彦らの活躍により道場の活気も取り戻す。

*11:父由左衛門。古流剣術復活を掲げる石動雷十太に心酔し行動を共にするも、雷十太の錯乱に巻き込まれ、右腕を負傷、一度は剣術の道を立たれるも、海外の治療により回復。神谷活心流に入門し、明神弥彦との二枚看板として活躍した。

*12:本人は日本二と自称。日本一は剣心との事である

*13:相楽。父東谷上下ェ門、母菜々芽。相楽相三に心酔し、赤報隊に準隊士として参加。赤報隊崩壊後は斬馬刀を揮い「斬左」の二つ名を持つ喧嘩屋として活躍。剣心に敗北し喧嘩屋を廃業して以降は彼と行動を共にし、志々雄事件解決などに貢献するも、谷十三郎を負傷させた為、お尋ね者となり国外逃亡、最終的にはモンゴルで馬賊となった。

*14:三条。赤べこ店員。子に心弥。元主君だった長岡幹雄の赤べこ強盗未遂事件に巻き込まれた際に明神弥彦と知り合い、彼の心の支えとなった。

*15:ミントアベニュー所属。代表作:磯野カツオ(3代目)(『サザエさん』)・ロールパンナ(『それいけ!アンパンマン』)(声優)、『開運!なんでも探偵団』(ナレーション)

*16:TWO-MIXボーカル。81プロデュース所属。代表作:江戸川コナン(『名探偵コナン』)、キキ(『魔女の宅急便』)、猪名寺乱太郎(『忍たま乱太郎』)他。

*17:与兵衛。

*18:田中。応仁の乱の際内通を疑われ堺に逃亡、義尚の将軍就任に伴い再出仕するも、義尚の死により引退。

*19:室町第8代将軍。左大臣。父義教、母日野重子。旧名:義成。細川勝元畠山持国らに擁立され将軍就任するも、打ち続く土一揆により政権は動揺。継嗣問題から遂には全国を二分する応仁の乱が勃発。政権を投げ出し東山に隠遁し、東山文化の隆盛の基礎を築いた。

*20:堺の豪商。因幡守。父武田信久。南宗寺に参禅し、茶禅一昧を掲げ茶道を確立した。

*21:唐物の目利きに優れ、「台子の茶」「書院の茶」と呼ばれる華やかな茶を行った。

*22:大徳寺住侍。大林宗套に師事し、寂光院を開いた。

*23:兼員。大蔵卿。武野紹鷗の女婿として頭角を顕し、織田信長に接近。津田宗及と共に堺の親信長派の双璧として信長の覇道に貢献した。続く豊臣政権でも茶の湯天下の三巨匠の一角として活躍。

*24:宗達本願寺や三好氏、のちに織田信長に接近し重用された。続く豊臣政権でも茶の湯天下の三巨匠の一角として活躍。

*25:尾張・美濃の戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。尾張の大うつけと蔑まれる幼年時代を過ごすも、家督相続後頭角を顕し、尾張統一に成功した。上洛途上の今川義元桶狭間で討つと、美濃制圧・上洛と天下布武に邁進。二度の信長包囲網により危機に瀕するも幸運にも助けられ打開。天下統一を目前にするも、腹心惟任日向の裏切りにより本能寺の変で横死。

*26:関白。太政大臣。父木下弥右衛門、母大政所、養父近衛前久織田信長に仕え、美濃・近江攻略や京都経営に功を挙げ、織田四天王の一角として累進。本能寺の変後、山崎の戦い賤ヶ岳の戦い小牧・長久手の戦いなどを経て織田家中の主導権を奪取。天下統一事業の完遂に伴い豊臣政権の樹立に成功。腹心の秀長・千利休らを失って以降は奇行が目立ち始め、文禄・慶長の役の失敗などもあり、政権の求心力は動揺。最期は嫡子秀頼を案じながら没した。

*27:蒲庵古渓。大徳寺住侍。織田信長の百箇日法要を取り仕切るなど秀吉に信任されるも石田三成と衝突し九州配流。千利休の後援で復権するも、大徳寺山門事件に連座し隠遁。