脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

徳仁親王と譚嗣同の涙と随筆集について

広島の運動会でやる原爆組体操 : 2のまとめR
わざとじゃないなら広島の教育界はこういうこと早くやめましょう。あなた方は反動右翼の量産の密命でも帯びてるんですか?


 退職に伴い国保国民年金に移行。しかし、両方あわせて約4万/月ってなんじゃらほい。なんつーか、自分の中から敬老精神ってものが根こそぎにされる音が聞こえてきた気がしました。

覚えてた言葉は『お願い行かないで』

徳仁+不吉

2006-09-08

皇太子徳仁
 昭和三十五(1960)年〜。日本国皇太子。東京都千代田区出身。学習院大学人文科学研究科修了。父:今上天皇*1、母:美智子皇后*2、妻:雅子皇太子妃*3、長女:愛子内親王*4、弟:秋篠宮文仁親王*5、妹:黒田清子*6、祖父:昭和天皇*7、祖母:香淳皇后*8
 今上天皇第一皇男子。皇位継承順第1位。幼少時の称号浩宮。1966学習院幼稚園、'72同初等科、'75同中等科、'78同高等科卒業。'78学習院大学文学部史学科入学。'80.2.23皇統譜に登録され、成年皇族として、摂政就任、皇室会議議員となる資格を得る。'82.3同大学卒業、'82.4同大学院進学、'83.6オクスフォード大学マートン・カレッジ留学の為渡英。'85.10帰国。 '89.1.7立太子。'89.7オクスフォード大学名誉研究員。'91.3立太子の礼。'92学習院大学史料館客員研究員。'93.6.9小和田雅子と結婚。(『新訂 現代日本人名録2002』より引用)
受賞歴

不吉
 縁起の悪いこと。不運の兆しがあること。不祥。凶。(『広辞苑 第五版』より引用)

 天皇家に於いて「徳」の字は不吉、というかほぼ禁忌*9なのはちょっと日本史を齧っていれば分かりそうなものですが、約半世紀前のお偉い漢文学者様にはその常識がなかった模様です。そのお陰か、男子に恵まれなかったどころか、妻は壊れ、娘も不登校と不幸の極み。いやー無知って怖いですね。

蒼穹の昴+譚嗣同+涙

2007-01-06

蒼穹の昴
 浅田次郎*10の長編小説。1996年講談社刊。
 清代の中国を舞台とした歴史小説。第115回直木賞候補作。著者自身「私はこの作品を書くために作家になった」と、帯でコメントした。続編となる『珍妃の井戸』、『中原の虹』を書いている(いずれも講談社刊)。
 日中共同制作でテレビドラマ化され、2009.4に脚本楊海薇*11・監督汪俊*12のもと撮影が開始された。'10.1.2-7.10NHK衛星ハイビジョンにて全25回が放送された。 DVDは、既に中国語版が販売されている。日本語版は時期未定。(wikipediaより修整引用)

譚嗣同 Tan Si-tong*13
 同治四(1865)〜光緒二十四('98)年。中国清朝末期の政治家。字は復生、号は壮飛。
 変法運動の指導者の一人。湖南省瀏陽の人。早くから王船山*14の思想的影響を受け、強烈な民族意識と政治改革への熱情を持つ。日清戦争の敗北を機に、危機意識を深め、梁啓超*15らに接近、康有為*16の変法論に心酔。1890捐納で江蘇候補知府となったが、'98湖南に帰り、巡撫陳宝箴*17の進めた湖南変法運動に没頭。唐才常*18らと南学会を組織し、運動の発展に貢献。戊戌の新政には、軍機四卿の一人として活躍、袁世凱*19西太后*20幽閉のクーデター断行を迫って失敗し、政変で殺された。その改革論は変法派の中でも急進的で主著『仁学』で排満民族革命論を展開した。(『コンサイス人名辞典 外国編』より引用)


1、なみだ
2、なみだする。泣く。
国、なみだ。情け。人情。思い遣り。
(『大漢語林』より引用)

 拙速なクーデター計画の失敗により変法自強運動にとどめをさした武闘派学者譚嗣同。史実では大刀王五のもとで武術の修行にも明け暮れた武人というか侠客肌のお方ですが、蒼穹の昴では涙もろい朴訥な激情家に造形されています。初登場時は玲玲にプロポーズした直後に通りがかりの物乞いに落ちぶれた宦官に同情悲憤慷慨し、玲玲そっちのけで泣きじゃくるという実に印象深いというか、なんだこいつな変人以外の何者でもない有様だったのですが、物語の進行につれて登場人物全てが金甌無欠の完全超人化するのは浅田作品のお約束。退場シーンは梁文秀に後事を託し、「僕は簡単なことしかできんから」と袁世凱説得失敗の責を負い革命の流血の生贄として慫慂として死を選び、「僕は死に場所を得た」と快哉を叫び莞爾と笑い刑場に散る見事な最期を遂げるのでした。その際は勿論一滴の涙もその目にはないのはいうまでもありません。

蒼穹の昴(下)

蒼穹の昴(下)

ベーコン+イギリス+随筆

2006-08-19

ベーコン Francis Bacon
 1561-1626。イギリスの哲学者・政治家。ニコラス=ベーコン*21の末子。
 ジェームズ1世*22のもとで大法官まで栄進(1618)。'18ヴェルラムの男爵、'21聖オルバンスの子爵に叙せられたが、'21汚職収賄の廉で禁錮刑を受ける。のち禁錮を許され隠棲、晩年を著作に過ごす。雪の防腐作用の実験中病気となり死去。デカルト*23と並び近代西欧哲学の祖。科学の潜勢力を見抜き、科学技術時代の到来を予見。その見地からアリストテレス的スコラ的論理哲学に対抗し、発明発見の方法論・論理学の書である『ノーヴル・オルガヌム(新機関)』('20)を著した。4つの先入見(種族・洞窟・市場・劇場の各イドラ(偶像))を真理獲得の障害物として払拭すべく説いたのは有名。また『随筆集』(1597)の著者としても名高い。(『コンサイス人名事典 外国編』より引用)

イギリス【Inglez(葡)・英吉利】
 (The United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandヨーロッパ大陸の西方、大西洋上にある立憲連合王国グレートブリテン島北アイルランド及び付近の900余の島々からなる。面積244,000平方km。人口5826万人*24。民族は主にアングロサクソン人とケルト人。宗教は、ヘンリー8世*25時代以後、国教会を主とし、新教各派がある。産業革命の発祥国で、政党政治・責任内閣制がよく発達。首都ロンドン。江戸時代、日本ではエゲレス・アンゲリアなどと称した。英国。(『広辞苑 第五版』より引用)

随筆
 見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章。漫筆。随想。エッセー。(『広辞苑 第五版』より引用)

 近年一穂社から復刻のなったF.ベーコンの随筆集。シェイクスピアの正体にすら擬せられるその文才は500年の時を越えても全く色褪せることなく珠玉のエッセイの数々を現代の我々に届けてくれます。また恐ろしいのが、経済・科学の分野を除いてはその内容の全く古びてないこと。擬古文調の訳文を現代風にマイナーチェンジすれば、今日から使える人生訓として実用に耐えるはずです。誰か野心的な出版社の方手出してみませんか?

 という訳で、以下に心に残った文章数葉をご紹介。

  • 妻子を有する者は運命に人質を入れたものである(八、「結婚と独身生活について」より)
  • 世には人の気分を扱うには抜け目ないが、仕事そのものにかけてはあまり能力の無い者が沢山有る。之は書物よりも人間を多く研究した者に有り勝ちな傾向である。(二十二、「狡智について」)
  • (交渉の代理人には)抗議には大胆な人間を、勧誘には話のうまい人間を、調査又は視察には術策に長けた人間を、条(すじ)の通らぬ仕事に剛腹で頑冥な人間を差し向けるようにする。(四十七、「交渉について」)
  • よき礼節をもつことは、その人の評判を良くするのに与って甚だ力あり、(中略)それは常住不断の推薦状のようなものである。(五十二、「儀式と礼儀について」)
  • 軽蔑の事情を探し出すに長けた人間は怒りの情を燃やすことも多い。(五十七、「怒りについて」)

きっと強がりだけではもうこれ以上もたない

 イギリス病に罹り涙の低迷を続けた2世の方か、それとも鬼才フランシス=ベーコンの輔弼を得て大英帝国への雄飛を果たした初代の方か、どちらのエリザベス女王の時代が今後日本に訪れるのでしょうか。次代のリーダーたるべき方々の姿―迷走の極みの民主党代表選に徳仁親王の不吉な御名の呪い―を鑑みればどうも後者の奇跡は期待するだけ野暮な気がします。頼むから蒼穹の昴の様な清朝末期の大混乱だけは避けてくださいね。我々世代には多分譚嗣同の様な憂国の激情家はいませんよ。

BALLAD / You were...

BALLAD / You were...

帰ってきた今日の一行知識

フランシス=ベーコンの死因は冷凍保存の実験中にひいた風邪
好奇心猫を殺すとはよく言いますが、もう少しかっこいい死に方はできなかったもんでしょうか。

*1:第125代天皇。諱は明仁。父昭和天皇、母香淳皇后。良くも悪くも巨大な存在感を誇った昭和天皇の後を継ぎ、父とは違った民衆に近い天皇路線を取る。後期高齢者に入った現在でも熱心に公務に精励中。

*2:日本赤十字社名誉総裁。今上天皇皇后。父正田英三郎、母(副島)富美子。子に徳仁親王秋篠宮文仁親王黒田清子。「テニスコートの出会い」を経て皇太子明仁と結婚。初の民間出身の皇太子妃としてミッチーブームを巻き起こす。今上天皇即位後は、その出自を活かし、親しまれる天皇家の定着に尽力。

*3:小和田恒、母(江頭)優美子。子に愛子内親王徳仁親王に見初められ皇太子妃に、外交官としてのキャリアを武器に活発な皇族外交を志向するも、宮内庁守旧派の妨害により頓挫。適応障害を発症し、現在も闘病中。

*4:学習院初等科三年生。母雅子皇太子妃。発達障害の噂やいじめによる不登校にも負けず健やかに生育中。

*5:山階鳥類研究所総裁。父今上天皇、母美智子皇后。奔放な性格ながらも皇太子たる兄を立てることは忘れず、一歩を引きながらも皇室の一員として活躍。

*6:黒田慶樹夫人。父今上天皇、母美智子皇后。兄弟唯一の女児として母の愛情を一身に受けて育ち、兄文仁の級友と結ばれ降嫁。

*7:第124代天皇。諱は裕仁。父大正天皇、母貞明皇后。病弱な父に代わり摂政として公務を代行、その英明を天下に轟かす。即位後は君臨すれども統治せずのイギリス流君主を模範として、激動の昭和を静かに見守った。

*8:昭和天皇皇后。諱は良子。父久邇宮邦彦王、母(島津)俔子。子に東久邇成子、祐子内親王、鷹司和子、池田厚子今上天皇常陸宮正仁親王島津貴子

*9:懿徳・仁徳を例外として、孝徳・文徳・崇徳・安徳・顕徳(後鳥羽)・順徳と憤死の代名詞のようなお方揃い。顕徳天皇が祟りを為してそれがこの「不吉」な諡号の所為だとされて、後鳥羽天皇に改名されて以降は絶えてなくなっています。

*10:代表作:「鉄道員」、「蒼穹の昴」、「壬生義士伝」他。

*11:代表作:『考荘秘史』他。

*12:代表作:『我的青春誰做主』、『最后的99天』、『像霧像雨又像風』他。

*13:二声-四声-二声

*14:夫之。字は而農。衡陽の人。代表作:『周易外伝』・『張子正蒙注』他。

*15:段祺瑞内閣財政総長。字は卓如。広東省新会県の人。康有為に師事し変法自強運動に参加するも、戊戌の政変により失脚亡命。亡命先の日本では立憲君主制を主張し、革命派と対立。民国には袁世凱の政治顧問として参加した。

*16:字は広厦。広東省南海県の人。父達初。光緒帝の寵を受け変法自強運動を推進。戊戌の改革を断行するも保守派のクーデターに破れ失脚亡命。辛亥革命後に帰国するも、時既遅く過去の人として時流に取り残された。

*17:湖南巡撫。字は右銘。江西省義寧の人。曾国藩の下に参じ、洋務運動に協力。湖南巡撫に就任後は、有為の士を集め改革を断行するも、戊戌の政変に連座し失脚罷免。

*18:字は伯平。湖南省瀏陽の人。同郷の友人譚嗣同らと湖南変法運動を主導。戊戌の変法後は孫文ら革命派に接近、義和団の乱に乗じ蜂起を図るも露見し処刑。

*19:洪憲帝。中華帝国初代皇帝。字は慰亭。河南省項城県の人。壬午軍乱や甲申政変で才覚を顕し、日清戦争での李鴻章の失脚後彼の後継者となる。義和団の乱の鎮定で清国の兵権を掌握するも、満州貴族の反攻により失脚。辛亥革命を引き起こし、中華民国臨時大総統に就任。独裁体制を築き遂には皇帝にまで至るも第3革命で失脚憤死。

*20:咸豊帝貴妃。父葉赫那拉恵徴。子に同治帝。夫の死後辛酉政変で政権を掌握。子の同治帝・甥の光緒帝の二代に亙り垂簾聴政を展開。光緒帝の親政を戊戌の政変で弾圧してからは、独裁体制を確立。その保守的強権政治は清国の崩壊を早めた。

*21:国璽尚書エリザベス1世に寵愛され国璽尚書の地位を大法官に匹敵するものに向上させた。

*22:James I。イギリスステュアート朝初代国王。父ヘンリー=ステュアート、母メアリー。スコットランド王ジェームズ6世として即位。エリザベス1世死後イングランド国王も継承しグレートブリテン初代君主となる。王権神授説の体系化に努め、議会との対立を激化させた。

*23:René Descartes。代表作:「方法序説」、『情念論』、『哲学の原理』他。

*24:1995時点。2008現在は6156.5万人

*25:イングランドテューダー朝第2代国王。父ヘンリー7世、母エリザベス・オブ・ヨーク。離再婚問題で教皇庁と対立。イギリス国教会を組織してローマカトリック教会から独立。国内のカトリック教会の財産所領の没収により王権の拡張に成功し、中央集権的絶対王政の基礎を築いた。