脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

ムーンライト・ラブ

[三題噺]メディ×ベホと信玄の男関係と立命館大学史学科について

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此度の政権交代の一番の功績は自民党自衛隊などの所謂保守勢力の腹が据わったことだと思います。反面教師は大事ですね。


 東京逃亡までの約半年強、広島時代からの悪友の選挙の手伝いをします。という訳で暫く民主党の犬になりますので関係者各位は当ブログを見なかったことにしてください。

あなたに出逢ったその日から夢の世界旅する私です

メディア×べホイミ

少女Q - 脱積読宣言

メディア
 謎の経歴を持つメイド少女。以前は教授*1のところで助手を務めていたが、後に1年D組に転入してきた。桃月学園の制服は着ず、常にメイド服でいる。体育のときも白手袋だけは外さないのがメイドのたしなみ。動物が大好きで、獣医師になりたいと思っている。ベホイミとは過去に戦場での敵同士だったらしい。転入当初はベホイミから警戒されて一緒に居る事を拒まれていたが、後に互いの素性を知っているためか共に行動するようになり、その能力を活かして二人で学園と街の平和を守っている。本来の任務はベッキー*2の身辺警護のようだが、なぜかベッキーのいるC組ではなくD組に来てしまった。教授のマジックハンドを素手で折ったり、熊を素手で倒すことができる怪力の持ち主。常に笑顔であるが、アニメ版第9話*3ではベッキー達を助ける際に一瞬だけ目を開いた。年齢も勿論不詳で、年齢を詐称して転校し学園生活を過ごしていると思われる。スピンオフ作品『新感覚癒し系魔法少女ベホイミちゃん』では、本編より登場回数が増え、よくべホイミの活動を応援しながらからかいながら(戦闘には参加する気は無い模様)楽しんでいる。
初登場:第35話「八歳の翁百歳の童」〈再会…そして〉(漫画)、第9話「八歳の翁百歳の童」(アニメ)
登場作品:『ぱにぽに』・『新感覚癒し系魔法少女ベホイミちゃん』(漫画)、『ぱにぽにだっしゅ!』(アニメ)
cv.松来未祐*4(アニメ)、ゆかな*5(ドラマCD)

ベホイミ
 経歴年齢本名不明の癒し系魔法少女。語尾に「-ッス」とつけるのが口癖。かつては愛と勇気と真実に燃える魔法少女の転校生だったが。あまりパッとせず、姫子*6に「マキシマムダサくない?」と言われて数度のイメージチェンジを図るが、最終的に地味な格好に落ち着いてしまう。その為にメガネキャラの属性を持つことができた。過去に特殊部隊にいたらしく、過去からメディアとも顔見知り。爆弾に対しての知識も豊富で、原作・アニメの両方で爆弾の解体も行っている。その両親も一応魔法使い、ということになっている。少しヤサぐれたところがあるが、メディアとともに桃月学園や町内の安全を守る活動をしており、その際はバケツを頭に被った姿(バケツマン)で登場する。柏木姉妹と宇宙人の計略によって、科学の力を借りた魔法を発動させることがある。
 『Gファンタジー』2006年8月号より本編と並行して連載しているスピンオフ作品『新感覚癒し系魔法少女ベホイミちゃん』では主人公。宇宙人の要請で魔法少女となって、地球を脅かす悪と戦っている。しかしながらアルバイト先の意向で、魔法少女として活躍するときにはドクロ仮面*7の着ぐるみを着せられている。敵と戦う以外に宇宙人の頼みで、マーメイドプリンセス*8の救出、男装して男子校への潜入調査、呪いのアイテム回収など、裏のことや色々な魔法少女と関係ない任務にも当たっている。その際の揉め事で地球側と敵対関係になっているらしい。東京都大田区桃月町のアパート夢野荘に住んでおり、家にはミステリー系の関係者の出入りが多いため、一種のミステリースポットになっている。一時ドクロ仮面で活動していた為ドクロに愛着を持つようになった模様。なお、名前はドラゴンクエストシリーズに登場する呪文に由来している。(wikipediaより修整引用)
初登場:第10話「巨人大鵬卵焼き」〈D組の新戦力〉(漫画)、第1話「寒に帷子土用に布子」(アニメ)
登場作品:『ぱにぽに』・『新感覚癒し系魔法少女ベホイミちゃん』(漫画)、『ぱにぽにだっしゅ!』(アニメ)
cv.門脇舞*9(アニメ)、山本麻里安*10(ドラマCD)

ぱにぽにだっしゅ! DVD-BOX

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信玄+男関係

永遠のために君のために - 脱積読宣言

武田信玄
 大永元(1521)〜天正元('73)年。戦国時代の大名。武田信虎*11の長男、母は大井信達*12の娘*13甲斐国石水寺出身。諱:晴信、号:徳栄軒。
 1536元服、将軍足利義晴*14偏諱をうけ従五位下、大膳大夫。'41父信虎を追放して自立し、'42信濃国諏訪を、'45伊那をとり、筑摩郡の小笠原長時*15埴科郡村上義清*16を圧迫する。'49義清と上田原に戦い敗れたが、'49塩尻峠に長時を破り、'51長時を越後に逐い、次いで'53義清を越後に走らせる。'53・'55・'57・'61・'64の5回川中島上杉謙信*17と戦い北信を制圧する。'54駿河国善徳寺で北条氏康*18今川義元*19と会盟し、'58以後氏康を助けてしばしば関東に出兵し謙信と対抗する。義元敗死後、今川氏との和親を説く嫡子義信*20と対立、'67自殺させ、'68・'69駿河に進出する。その間、後北条氏と抗争し駿河及び小田原に戦い、西上野を版図に収める。'71北条氏政*21と和し、将軍足利義昭*22本願寺顕如*23・朝倉氏・浅井氏らの反織田信長*24勢力と結び、'72西上の大軍をおこす。遠江国三方ヶ原で徳川家康*25を破り、転じて三河国野田城攻囲中に発病、'73帰国の途中信濃国伊那の駒場で死んだ。卓抜な戦略・戦術家で、'47「甲州法度之次第」を発布、家臣団の編成と統制、検地・治水等、領国経営に見るべき施策が多い。法名は法性院信玄。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)


1、おとこ。おのこ。
 ア、男子。
 イ、息子。男の子。
 ウ、血気盛んな若者。壮丁。
2、男子が父母に対する自称。
3、五等爵(公・侯・伯・子・男)の第五位。男爵。
(『大漢語林』より引用)

関係
1、あるものが他のものと何らかの関わりを持つこと。その間柄。二つ以上の思考の対象を何か統一的な観点(例えば類似・矛盾・共存など)から捉えることができる場合に、それらの対象はその点で関係があるといわれる。
2、人間社会に於ける特殊な係わり合い。
 ア、男女間の情交。
 イ、血縁や組織に於ける結びつきの間柄。
 ウ、ある物事に携わっていること。
 エ、(接尾語的に)その方面(の仕事)。
3、あるものが他のものに影響を及ぼすこと。
(『広辞苑 第五版』より引用)

新編 武田信玄のすべて

新編 武田信玄のすべて

立命館+日本史

あかき血潮胸に満ちて - 脱積読宣言

立命館大学
 京都市北区に本拠を置く私立総合大学校。1869西園寺公望*26が創設した私塾立命館を源流とするが、直接には1900西園寺側近の中川小十郎*27の創立になる京都法政学校が前身である。'03専門学校令による京都法政専門学校となり、'04京都法政大学、'13立命館大学と改称。'22大学令による大学となり、法学部を置いた。戦後'48法・経済・文の3学部を持つ新制大学として発足。その後、理工・経営・産業社会・国際関係・政策科学【・映像・情報理工・生命科学・薬・スポーツ健康科学】の各学部を新設。'98現在*288学部8研究科を持ち、学部学生数は約29,000人。(『岩波日本史辞典』より引用。【】内は管理人追記。)

日本史
 、日本または日本列島における歴史、国史(National History)のこと。なお政治史・文化史の面からすると、一連の事象を「明治時代」以降についてのみ元号で一括して時代区分することは、科学的に根拠が乏しい。(wikipediaより引用)

立命館大学 文系A・4教科型 2004 (大学入試シリーズ 440)

立命館大学 文系A・4教科型 2004 (大学入試シリーズ 440)

答えて!答えて!はりさけそうなの

ムーンライト・ラブ

ムーンライト・ラブ

帰ってきた今日の一行知識

武田軍は最初期から火縄銃の導入に熱心で信長以前では最大の鉄砲隊を組織していた
んですが、そこは内陸の山猿の悲しさで堺を抑えられるとそれ以上の発展は望めず、長篠の敗戦に繋がったのは皆さん知っての通り。立地ってのは重要ですね。

*1:マサチューセッツ工科大学言語学教授。ベッキーの恩師。専攻をほったらかして考古学やUMAの調査などにうつつを抜かしている。

*2:レベッカ宮本。桃月学園1年C組担任。数学教諭。僅か10歳にてMITの学位や教職免許を習得する天才児。当初は性格も刺々しくも何処か子供っぽい歪な性格だったが、周りに毒され段々と性格も円くなりつつある。

*3:「八歳の翁百歳の童」

*4:旧名:松木美愛子。81プロデュース所属。代表作:チョッピ(『ふたりはプリキュア Splash Star』)、藤吉晴美(『さよなら絶望先生』)、鷺ノ宮伊澄(『ハヤテのごとく!』)他。

*5:旧名:野上ゆかなシグマ・セブン所属。代表作:雪城ほのか(『ふたりはプリキュア』)、C.C.(『コードギアス 反逆のルルーシュ』)、テレサテスタロッサ(『フルメタル・パニック!』)他。

*6:片桐。1年C組。漫画研究会所属。アホ毛が特徴の天真爛漫少女。オメガバカと称される考えなしの行動力でC組を牽引する。

*7:ZONE幹部。性格は冷酷でこそあるがルールを決めることを美徳とする筋の通った人物。変身能力や炎を操る能力でエクセリオンを苦しめる。

*8:地球外生命体。某企業のラボに囚えられていたところをべホイミに救出され、以降彼女の下宿に居候する。融合変身能力や敵を溺死させる能力を持つ。

*9:現:門脇舞以カレイドスコープ所属。代表作:宇佐美々(『こどものじかん』)、月村真由(『ご愁傷さま二ノ宮くん』)、野比のび太(幼年期)(『ドラえもん』(テレ朝版))他。

*10:81プロデュース所属。代表作:つぼみ(『パピヨンローゼ New Season』)、橘うらら(『セラフィムコール』)、七千草菜々子(『菜々子解体新書』)他。

*11:甲斐守護。陸奥守。父信縄、母岩下氏。国衆らとの抗争の果てに甲斐国を統一するも、周辺勢力との相次ぐ戦乱に人心は離反し、嫡男信玄に追放された。

*12:上野城々主。父信包。今川氏後援の下に婚姻政策により甲斐西部に一大勢力を築くも、武田氏に臣従。府中移転に反発し反乱するも今諏訪の戦いに破れ失脚隠居。

*13:瑞雲院殿。武田信虎正室。子に定恵院・信玄・信繁・信廉。

*14:室町第12代将軍。右近衛大将。父義澄、母日野永俊女。細川高国に擁立され将軍位を継承するも、近畿の情勢に応じて離帰洛を繰り返し、最期は朽木で憤死。

*15:林城々主。大膳大夫。父長棟、母浦野弾正忠女。信濃中部の反武田勢力を結集し信玄に対抗するも塩尻峠の戦いに敗れ勢力は後退。本拠地失陥後は上杉家を頼るも旧領回復ならぬまま病死。

*16:葛尾城々主。父顕国、母斯波義寛女。北信濃の盟主として信玄の侵攻を上田原の戦い・砥石崩れの二度撃退するも、時勢には抗えず越後に敗走、川中島の戦いの原因となった。

*17:輝虎。関東管領弾正少弼。父長尾為景、母青岩殿、養父:長尾晴景上杉憲政。旧名:景虎→政虎。兄の無能から家臣団に擁立され家督継承。関東管領職就任により、関東制覇を目指し幾度も後北条氏と干戈を交えるも、南の武田氏や西の一向一揆との抗争により果たせず。第二次信長包囲網に参加し、三氏と同盟により後顧の憂いを断ち遠征に赴き手取川の戦いに勝利するも、再度の遠征の準備中に病死。

*18:相模の戦国大名左京大夫。父氏綱、母養珠院。山内・扇谷の両上杉氏を逐い、古河公方を傀儡化し関東の覇権を確立。甲相駿三国同盟を締結し、内政の充実に努め、上杉謙信の侵攻に対抗した。

*19:駿河遠江三河守護。三河守。父氏親、母寿桂尼。兄の急死により花倉の乱を勝ち抜き家督を継承。後北条氏駿河侵攻を退け、三河から織田氏の勢力を駆逐するなどして、東海道の覇権を確立。甲相駿三国同盟により後顧の憂いを断ち、上洛戦を敢行するもその途上の桶狭間の戦いにて横死。

*20:父信玄、母三条の方。信玄の嫡男として数々の合戦に従軍し活躍するも、妻の実家の今川氏との外交方針で父信玄と対立。謀反の嫌疑により廃嫡賜死。

*21:相模の戦国大名。相模守。父氏康、母瑞渓院。武田・上杉・織田らと同盟離反を繰り返しながら勢力を拡大するも、豊臣秀吉の関東征伐を招き敗死。

*22:室町第15代将軍。権大納言。父義晴、母慶寿院、養父近衛尚通。旧名:義秋。兄義輝の横死により、細川藤孝に擁されて近畿を脱出。織田信長の力を借りて将軍位を奪還するも蜜月は長く続かず信長と対立。二度の反信長包囲網を企画するも瓦解逐電、室町幕府を終焉に導いた。信長死後は帰京し秀吉の御伽衆として活躍した。

*23:光佐。本願寺第11世。大僧正。父証如、母庭田重直女。幕府朝廷との縁戚関係を背景に大名をも凌ぐ勢威を誇る。二度の信長包囲網に参加し、10年に亙る石山合戦を戦い抜くも、時勢には抗えず講和。以降武家政権との宥和路線をとるも、強硬派の嫡子教如と義絶。東西本願寺分裂の原因となった。

*24:近畿の戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。尾張の大うつけと呼ばれる暗愚な青年時代を過ごすも、弟信行との家督争いで頭角を顕し、尾張を統一。次いで美濃・伊勢を勢力下におさめ、義昭を擁し上洛し、近畿の覇権を掌握。二度の信長包囲網を打ち破り、数々の改革で国力を蓄え、全国統一を目前に迎えるも、本能寺の変にて横死。

*25:徳川初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。旧名:元信→元康。今川義元旗下の青年武将として活躍するも、桶狭間の戦いを期に独立。信長との清洲同盟により東海道に勢力を拡大。本能寺の変後は旧武田領を吸収し豊臣秀吉と角逐。恭順後も五大老の筆頭として豊臣政権で重きを為し、秀吉死後関が原の戦いに勝利し政権を継承し幕府を開闢。江戸250年の泰平の基礎を築いた。

*26:第12・14代内閣総理大臣。公爵。父徳大寺公純、養父西園寺師季。木戸・伊藤の知遇を得、政界進出。フランス仕込のリベラル思想で伊藤から引き継いだ立憲政友会を牽引、内閣総理大臣として桂と共に桂園時代の安定を現出。首相引退後は元老として天皇を輔弼。松方死後「最後の元老」となってからはキングメーカーとして憲政の常道の定着に尽力するも、二・二六事件後の軍部の暴走を掣肘することはできず、日本の将来を憂いつつ病死。

*27:立命館初代総長。母さき。西園寺公望の秘書官として彼を輔弼。朝日生命副社長や台湾銀行頭取などを歴任しながら、京都法政大学後の立命館大学の立ち上げに貢献。

*28:2010.7現在は13学部16研究科。学部学生数約33,000人