今日もやられやく - FC2 BLOG パスワード認証
修学院も鷲宮と豊郷に続け。前原さん地元の縁でプロデュースしてみませんか。新たな支持層開拓できるかもしれませんよ。
春が来た。そろそろ昼間部屋に引篭ってるのがきつくなってきました。冬眠から醒めた熊みたいにのそのそ外に出てみようかなっと。
SRWZ進捗
- スペシャルモード2周目第28話「しろがねの牙」超重剣招来。トップエース:セツコ=オハラ@バルゴラ改。
きみといるときぼくはぼくになれるそういう気がする
ヒカリ
ヒカリ
唄:堀江由衣*1、コーラス:副田研二*2、作詞:椎名可憐*3、作編曲:YUPA*4。
テレビ東京系アニメ『いぬかみっ!』オープニング主題歌。
初出:『ヒカリ』(2006.5.24)
収録音源:『ヒカリ』、『Darling』、『yui horie CLIPS 2』
歌詞はこちら
堀江由衣最大のヒットシングル。ハレ晴れユカイの衝撃も冷めやらぬ2006年6月第1週のオリコンランキング第5位獲得。同時発売のAice5の『Believe My Love/友情物語』(7位)との同時ランクインが印象的。間に挟まれたゴスペラーズがかわいそうでかわいそうで。三十路も半ばに手が届き、ニューウェーブの平野綾や茅原実里に押されて一時ほどの勢いは失ったほっちゃんですが、未だその実力は衰えを見せません。旧き良き声優アイドルとして生暖かく見守りましょう。
- アーティスト: 堀江由衣,YUPA,椎名可憐
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2006/05/24
- メディア: CD
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皇族+称号
心よ原始に戻れ - 脱積読宣言
亡国覚醒カタルシス - 脱積読宣言
皇族
天皇の親族をいう。皇族を指す言葉としては、大宝律令に皇親の語が定称とされ広く用いられたが、次第に用例は減少し、明治期に入ると皇族の語が多く用いられるようになった。
1889制定の皇室典範で、「皇室ト称フルハ太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王ヲ謂フ」と皇族の範囲を明文上で規定。皇子から四世までを親王・内親王とし、五世以下を王・女王とした。1907制定の皇室典範増補で王の臣籍降下の道が開かれた。第二次大戦後の皇室典範では、嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫までを親王・内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫を王・女王としている。(『日本史広辞典』より引用)
称号
1、そのものを呼ぶ名。称呼。となえ。名称。
2、身分・資格などを表す名称。肩書。
3、苗字。氏名。
(『日本国語大辞典 第二版』より引用)
皇族の称号といえば、皇太子とか皇太子妃、親王、王なんかが思いつきますが、狭義では嫡流直系皇族にのみ与えられる所謂御称号が当てはまります。要は「〜宮」って奴です。これで終わるのもなんなので、以下存命中の皇族*5の御称号リスト。
- 作者: 小田部雄次
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
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徳川家斉
徳川家斉
安永二(1773)〜天保十二(1841)年。江戸幕府第11代将軍。在職は50年に及び歴代将軍で最長。御三卿の一橋治済*6の長男。母はおとみの方*7。幼名は豊千代。院号は文恭院。
1781 10代将軍家治*8の世子となり、'87 15歳で将軍宣下を受けた。'87寛政の改革が始まったが、将軍補佐役についた老中松平定信*9が実質的な権力を揮った。光格天皇*10が実父の閑院宮典仁親王*11に太上天皇の尊号を贈ろうとした(尊号事件)ように、実父の一橋治済に大御所の称号を贈ろうとして定信に阻止されたといわれる。'93家斉と確執の生まれていた定信が辞職したのちは、松平信明*12ら「寛政の遺老」と呼ばれた老中を指揮して幕政を運営した。しかし、1818側近の水野忠成*13を老中に据えてからは、一部側近に幕政運営を任せた為、側近による政治の専断や多くの介入は目に余るものがあった。家斉は「敏慧」と評された能力の持ち主だったが、生活は非常に豪奢、かつ好色家であり、側室が40人、子供が55人の多数に及んだ。この子供達の養子や嫁ぎ先の大名を優遇した為、他の大名の反発を招いた。また日蓮宗を盲信し、感応寺を建立した。'37将軍職を家慶*14に譲ったが、大御所として死ぬまで実権を放さなかった。寛政の改革が生み出した政治上の相対的安定期に在職し、政治的には比較的穏やかで、しかもその生活ぶりも相俟って、江戸時代の二大文化の一つの化政文化が花開く要因を作った。(『朝日歴史人名辞典』より引用)
将軍在位半世紀に及び化政文化を花開かせた名君のはずなのになんだか知名度も評価も低い家斉公。その業績を私なりにまとめてみようと思います。
暗殺すら噂された家基の急死後、後継者と擬せられていた田安定信を嫌った田沼意次の策動により10代将軍家治の世子となった家斉。飢饉の打ち続く天明七年に弱冠15歳で将軍職を継承しますが、当初は父一橋治済の傀儡。家治治下で権勢を揮った田沼を罷免し、御三家・御三卿の総意で松平定信を老中首座に登用、寛政の改革を実行します。しかし、時代遅れの理想論が上手くいくはずもなくほどなく改革は頓挫、尊号事件やそれに続く治済の称号問題で定信と家斉父子は完全に決裂。定信は失脚します。
しかし、すぐには政治方針の転換は行われず、定信の側近連通称「寛政の遺老」を重用し定信の理想を受け継ぎました。それが変わるのは時代も文政に移ってから。寛政の遺老筆頭松平信明の死去やその他のメンバーの引退によって台頭してきた側用人水野忠成を重用しました。忠成は田沼以上とすら言われた贈賄政治の横行を招来し、それに伴い家斉の生活も奢侈を極め、幕府の財政は危機的状況に陥ります。しかし、その放漫財政が、大奥や町人文化の隆盛を招くのだから皮肉です。
以上、まとめるとやる気もないが現場に余計な介入して困らせることもない、無定見だけど何処か大器を感じさせる茫洋としたお坊ちゃん社長というのが彼の人物像でしょうか。独裁を嫌い、すわりのいいご神体を求める日本社会の理想のリーダー像として、再評価が待たれる人物だと思います。政治以外で見せる怪物的なパーソナリティーといい、爛熟した文化に舞い踊る群像劇といい、結構小説の題材にも映えるお方だと思うので、誰か腕に覚えのある方は是非挑戦してみてください。
- 作者: 小泉俊一郎
- 出版社/メーカー: グラフ社
- 発売日: 2009/09
- メディア: 単行本
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あっという間時間は積もり何も見えなくなりそう
鳩山の実力の露呈、自民の相変わらずの迷走、平沼与謝野新党の称号「たちあがれ日本」の失笑。と例年にも増してヒカリの見えない現代日本の混迷。我々は如何な行動を起こすべきなのでしょうか。徳川家斉みたいな底抜けの大人物担ぎ出して現場の若手でしこしこ改革?それとも皇族連に御動座願って一気呵成の革命?穏健過激どちらの挙にうって出るにしても必要なのは我ら次代を担うはずの若手の覚悟。老人連の保身の呪文「敬老精神」の呪縛を断ち切り今こそ既得権益打破の大鉈を振るうべき時です。今の日本には旧弊たちの老耄を待つ時間と体力は残されていません。大義のために人情を振り切るその勇気を搾り出してみませんか?
*1:VIMS所属。代表作:「YAHHO!!」・「Love Destiny」(歌手)、HMX-12マルチ(『To Heart』)(声優)他。
*2:代表作:「風に吹かれて」(歌手)、「じれったい」(作曲)、「眠れない街」(コーラス)他。
*3:代表作:「Little Wish 〜lyrical step〜」、「Peace of mind 〜人魚のささやき」、「疾風になれ」他。
*4:代表作:「ありのままでlovin' U」、「ユウヤケイロ」、「Azurite」(作曲)他。
*6:一橋徳川家第2代当主。准大臣。父宗尹、母おゆかの方。反田沼派の黒幕として活動。息子の家斉が将軍継承後は田沼意次粛清や松平定信の登用を指揮した。以後も家斉を通して幕政に強い影響力を保った。
*7:慈徳院。一橋治済側室。大奥女中。父岩本正利、母梅田の養女。子に徳川家斉・徳川治国・黒田斉隆、一橋斉敦。
*8:徳川第10代将軍。右大臣。父家重、母至心院。その英明を祖父吉宗に愛されるも、将軍継承後は老中田沼意次に幕政を委任。江戸時代には異例の重商主義的政策を後援した。
*9:白河藩第3代藩主。左近衛権少将。父田安宗武、母香詮院、養父松平定邦。一時は将軍後継者に擬せられるも田沼意次との対立により白河藩主を継承。天明の大飢饉下での善政により名を上げ、家斉将軍継承による田沼意次失脚に伴い老中に就任、寛政の改革を断行した。尊号事件により、後援者たる治済・家斉父子の寵を失い失脚。
*10:第119代天皇。諱は兼仁。父閑院宮典仁親王、母大江磐代、養父後桃園天皇。旧名:師仁。後桃園天皇の急逝に伴い、九条尚実の推挙により天皇家を継承。漢風諡号の復活や旧儀式の復元など朝廷権威の再建に尽力し、尊号事件などで幕府とも対立した。
*11:慶光院。閑院宮家第2代当主。父閑院宮直仁親王、母讃岐。古今伝授伝承者で和歌や能書家としても著明。
*12:吉田藩第4代藩主。侍従。父信礼、母(村雨)清見。松平定信と共に寛政の改革に参画。定信失脚後は老中首座として幕政を主導、「寛政の遺老」と呼ばれた。
*13:沼津藩第2代藩主。侍従。父岡野知暁、母奥田忠英女、養父水野忠隣。家治・家斉の側近として擡頭し、松平信明死去後の老中首座として大御所時代の幕政を主導。「水野出て 元の田沼と なりにけり」と揶揄される賄賂政治を現出した。
*14:徳川第12代将軍。左大臣。父家斉、母香琳院。大御所家斉存命中は傀儡として政治力を発揮する機会はなかったが、家斉死後は家斉派の重臣を粛清し、水野忠邦を登用し天保の改革を後援するも、上知令の失敗により挫折。以後も外様・親藩大名家への介入を続け、幕末期の大藩の幕府離れの原因を作った。