脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『野中広務 差別と権力』

薬物対処部隊、麻薬売人の家を捜索→Wii発見!→大喜びでみんなでボウリングゲームして遊ぶ→監視カメラでバレる…米
アメリカ楽しそうだなー。


 東京は江戸川区に居を構えて早半月。実に済みやすいいい町です。長閑な割りに都心までほんの数十分。年取って広島にも京都にも縁切れたらこの町済むのもいいかもしれません。

野中広務 差別と権力 (講談社文庫)

野中広務 差別と権力 (講談社文庫)

抱きしめた夢の重たさにその腕が少し疲れても

野中広務
 大正十四(1925)年〜。社会福祉法人京都太陽の園理事長。元自民党幹事長。京都府園部町出身。園部中学卒業。
 国鉄に勤務した後、1950郷里に戻り、園部町議3期、園部町長2期を経て、京都府議3期。林田悠紀夫*1知事実現の政治力を買われて、'77副知事になった。'82水平社大会で部落の出身であると公言。'83衆院京都2区補選で当選。'94村山内閣の自治相、'98小渕内閣官房長官、'99小渕改造内閣でも留任、また沖縄開発庁長官を兼任。2000.4-12自民党幹事長を務めるなど、自民党小渕派橋本派の実力者として活躍した。当選7回。'03.10自民党総裁選での候補者擁立を巡り橋本派が分裂した事態を受けて政界を引退。竹下派、旧小渕派を経て、橋本派。(『新訂現代政治化人名事典〜中央・地方の政治家4000人〜』より引用。)
受賞歴

 野中の横車の所為で、京大工学部が桂に移転する羽目になったと、教授連から耳たこで聞かされ続けた為、どうも好きになれない政治家筆頭。小泉の橋本派大粛清に巻き込まれて引退に追い込まれた時、反小泉一色だったマスコミに乗せられていけしゃあしゃあと派閥批判繰り広げていた醜い姿が忘れられません。
 しかし、この本の記述を信ずるなら、抵抗勢力の妨害に負けず、己が信念を貫き通した硬骨の政治家。となるようです。確かに、そのいかなる苦難にもめげず手段を選ばず、戦いぬく姿はちょっとかっこよく見えたり見えなかったり。ただ、その手段を選ばなさぶりが、すっかりお上品になった現代政治に慣れた身からみれば、到底容認できぬ非道の嵐なとこ。恩人裏切り、都合の悪くなった部下切捨て、なんてのはまだ可愛いほうで、露骨な利益誘による意趣返しや買収の嵐。流石にちょっとひいちゃいます。
 自社連立というありうべからざる禁断の融合が生み出した鬼子の一代記。今は無き古き良き自民党の最後の生き残りは我らに何を教えてくれるのでしょうか。やっぱ自民はあかん。って結論しかないような気もしますが、まあ読んでみるのもいいのではないでしょうか。

天使のような悪魔の笑顔

 平等と平和を掲げながら、暴力と陰謀でその権力を守る。ハト派の顔したタカ派の集団ってのが、自民党守旧派の典型ですが、これは自民党の病理というより、日本の宿痾と言ってもいいのではないでしょうか。従業員保護だの顧客満足だのの綺麗事を謳いながら、内実は陰険なイジメと家内権力で暴虐を揮い、時代遅れのやり方の固執する上層部なんてのは、社会人の皆さんにはもうおなじみの光景ではないでしょうか。理想を掲げながらも変化を厭う爺さま方を駆逐する第六天魔王の光臨こそが、現代日本の停滞を打ち砕く唯一の道です。我こそと思わん人はぜひやっちゃって下さい。屍は拾って差し上げますので。

ミッドナイト・シャッフル

ミッドナイト・シャッフル

帰ってきた今日の一行知識

士農工商の下に穢多・非人が続くのではなく、各身分の最下層が被差別身分となっている
「士」の最下層の非人、「農」の最下層の水呑百姓、「工」の最下層の皮革職人・屠殺人、「商」の最下層の河原者。などなど。いつまでも古い時代遅れの階級史観で歴史を見るのはやめましょう。

*1:竹下内閣法務大臣正三位勲一等旭日大綬章。28年続いた京都の蜷川革新府政を正す為に自民党他保守勢力に担がれ京都府知事に当選。2期8年務めた後、参議院に復帰。法務大臣などを歴任。