脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『人物現代史10 ファイサル〜砂漠の帝王〜』

日本ってすごくね(;゚Д゚) 新聞は僕らの可能性を広げてくれる。放置しておくのは「モッタイナイ」
新聞や雑誌は最低十年は寝かさないとその真価が分かりません。引っ越し時の古新聞古雑誌との邂逅の愉悦の文化を後世に伝える為にも、皆さんしっかり新聞を購入しましょう。あ、読む必要はないですよ。あんなん単なる時間の無駄です。


 腰痛が慢性化。起立時や階段昇降時に奇声を挙げる見事なおっさんと化してます。諸悪の根源は卓袱台に置いたノートパソコンを胡坐で打ってる今この瞬間にあるのは分かっちゃあいるんですけどね。


SRWZ進捗

  • スペシャルモード第40話「崩壊序曲」新連邦軍と交戦中。トップエース:ランド=トラビス@ガンレオン。

人物現代史〈10〉ファイサル (1979年)

人物現代史〈10〉ファイサル (1979年)

朧にけぶる月の夜を対の駱駝は とぼとぼと

ファイサル Faysal bn al-'Aziz
 1905-'75年。サウジアラビアの国王(在位:1964-'75)
 イブン・サウード*1の第3子。1927ヒジャーズ知事、'28ウラマーイスラム法学者)会議議長となり、諸外国との交渉に当たる。'53父王の死により兄サウード*2が即位、次期王位継承者に指名され副首相兼外相の任に就く。'58経済危機が深刻化する中で、サウード王との間に権力抗争が発生、'64ウラマー会議の決議によりサウード王の退位と共に即位。この間、国内財政の再建、ウラマーや保守層の反対を押して近代的な教育制度や通信・交通手段を導入。外交面では親米的であった。'66ムスリム世界の指導者としてイスラム諸国同盟の形成を提唱、ナセル*3に敵対。'67.6六日間戦争以後は、エジプトとの関係は改善され、'73.10十月戦争では、石油政略発動の主導権をとったが、甥*4に暗殺された。(『コンサイス人名辞典 外国編』より引用)

 第二次石油危機を引き起こし、タイムズのマン・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた、アラブの巨人。穏健親米の敬虔なるイスラム教徒がどうして、アメリカに牙を剥くに至ったのかのお話になっています。石油を武器に、てんからアラブ諸国を嘗めきった態度を貫き通した英米に抗う勇者の姿はアメリカ嫌いの溜飲を下げること間違いなしです。まあ同時にイカサマ染みたイスラエル軍の強さと団結心も堪能できてしまいますが。
 内容としては、ファイサル個人史とゆうより、簡単なアラブの近現代史といった体裁。なので途中まではエジプトのナセルの方が主人公っぽいです。発行年が時あたかもイラク革命直後で、「ホメイニ政権は長続きしない」*5と断言されているのが今となっては悲しくもあり、可笑しくもあり。
 9.11以来急速に悪化した中東情勢を受けて、ここ四半世紀位の中東史を概説した本は多いですが、それ以前に遡っているものは少ないように感じます。皆さんもこれを機会に遠くて近い中東現代史に触れてみるのもいいんでないでしょうか。

広い沙漠をひとすじに二人はどこへ行くのでしょう

 アフガン・イラク両国で、完全に戦後政策を失敗して、中東情勢を混沌の坩堝に叩き込んで退陣したブッシュ親子。かの地方にイスラエルイスラム教のある限り、安寧の訪れる日はまだまだ遠そうです。あの地方を見ていると、レーニンの唱えた「宗教は阿片」の言葉が実感できます。尤も、アフリカに目を移せば、共通道徳の基盤としての宗教の重要さを痛感してしまうのですが。世の中なかなか上手くいかないものです。

日本のうた~全曲集

日本のうた~全曲集

帰ってきた今日の一行知識

フセイン独裁下のイラクは中近東有数の近代国家だった

旧態依然たるイスラム法に呪縛されるところ少なく、フセインの独裁と経済制裁による財政難を除けば、先進国並みの国家運営をやっていたはずです。「奴隷に学を与えるな!」の先人の智慧は現代にも通じているようで。

*1:Abdul Aziz bin Abdul Rahman ibn Faisal Al Saud。サウジアラビア王国初代国王。父アブド・アッラフマーン。生家のイブン・サウード家を逐われクウェートに亡命。リヤドを奪回し、サウジアラビア王国を建国。石油開発に成功し、サウジの近代化に貢献。

*2:Saud bin Abdul Aziz。サウジアラビア王国第2代国王。父イブン・サウード。反エジプト路線を取り、中東で孤立を深める。国内においても浪費が祟り財政を傾けた為、弟のファイサルに王位を逐われた。

*3:Jamāl ‘Abd al-Nāsir。アラブ連合共和国第2代大統領。父アブドゥンナーセル。7月革命を起こし、ファルーク朝打倒後、ナギブの後を襲い大統領就任。反猶親ソ路線を貫き、スエズ運河国有化などを断行し、アラブ民族主義を主導。六日間戦争敗北後、中東での発言力を失い、失意のまま病死。

*4:ファイサル・ビン・ムサド。アメリカ留学経験もある進歩派ながらも、兄ハリードの死を逆恨みし凶行に及ぶ。

*5:p136 PART2「モザデグ革命」「このような現地情勢の中で、ホメイニ回教政権が長つづきすると考えるものは少ない―。」