脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『雍正帝〜中国の独裁君主』

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人の振り見て我が振り直せ。幾らなんでも自分はここまで酷くはない・・・と信じたいんですが。


 今日のお仕事は庭での機密書類もとい期限切れ不要書類の焼却。なんでこう自分の本職と関係ない仕事って楽しいんでしょう。

雍正帝―中国の独裁君主 (中公文庫)

雍正帝―中国の独裁君主 (中公文庫)

キミじゃなくともバテぎみにもなるよ

雍正帝 Yong-zheng-di*1
 康熙十七(1678)〜雍正十三(1735)年。中国、清朝第5代皇帝、在位1723-'35。姓は愛新覚羅、名は胤蘅、諡は憲皇帝、廟号は世宗。
 康熙帝*2の第4子。張廷玉*3を親任、消極的だが堅実な政治を行った。1728養廉銀の制(勤務地手当制)を設け、官吏を廉潔にさせ、地方官から皇帝への親展状(奏摺)を詳しく点検、朱筆で批評して送り返し(硃批諭旨)、政治の末端まで把握した。丁銀(人頭税)を地銀(土地税)に繰り入れて地銀一本立てとし、政府収入を安定させ、各地の賤民を良民に編入して徴税対象とし、雲南・貴州地方の苗族地域を内地化する改土帰流を大規模に実施した。外征・外交は消極的であったが、青海・チベットの支配を確立。ジュンガルガルダン=ツェレン*4を攻撃した時、臨時に設けた軍機処が次第に国政の最高機関となり、内閣に替わった。'23西洋宣教師は朝廷奉仕者以外をマカオに追放。'27ロシアとキャフタ条約を結び国境を定め貿易をひらいた。(『コンサイス人名辞典 外国編』より引用)


 康熙・乾隆の怪物のような名皇帝二人に挟まれ非常に影の薄い雍正帝。在位期間のそれぞれ半世紀ずつの前後二人に比べれば僅か13年と短く、派手な事績にも乏しいので、中々クローズアップされることも少なくなっています。何人の世界史履修者が彼に泣かされたことでしょう。

 しかし、その実体は、官僚機構や有力貴族に依存しない純粋な独裁を行った中国では意外と珍しい変わり者なのです。更に、勤勉な彼は硃批奏摺と呼ばれる地方官との「私的文通」を精力的に行い、しかもそれが纏められ大々的に刊行(『雍正硃批諭旨』)されているという、研究者にとっては涎の出るような一次資料満載の皇帝なのです。その隠れた超一流の題材を、エピソードの集積で学問的に歴史を語れると言う稀有なる天才宮崎市定が料理するのだから、面白くならない訳がありません。専門用語や概念の説明も丁寧で、語り口も非常に重厚かつ軽快な一般向け歴史書の鑑のような本なので、これ読んで面白くなければ、中国近世史は絶対に楽しめないでしょう。最近の若い学者も愚にもつかない「史料批判」ばっかりやってないで、文章力も磨いて欲しいものです。

キミとボクとなら It's All Right

 英明にして勤勉。文句のつけようの無いスーパーマンと言っても過言ではない雍正帝。しかし、そんな彼をしても、独りでできることには限りがあり、晩年には軍機処へ漸く権限委譲が起こり、次代の乾隆以降には、彼が排除しようとした怪物のような官僚制度が復活進化していく羽目になりました。
 彼のような偉人であってもやはり独裁は非常に不合理かつ危険な運営方法なのです。だから、世のワンマン社長の皆さん。身の程を知って少しは部下に任せてください。

HOT LIMIT

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帰ってきた今日の一行知識

中国神仙思想に出てくる丹薬の正体は水銀
死体が腐敗しなくなる→不老不死!と考えてしまったようです。アスベストといいこれといい、無知ってのは怖いですね。

*1:一声-四声-四声

*2:聖祖。清朝第4代皇帝。諱は玄菀。父順治帝、母孝康章皇后。三藩の乱を制圧し、文字の獄によって思想を統制し、清朝の基礎を固めた。外に於いては、台湾・外モンゴル・青海を領有し、ロシアとネルチンスク条約を結んだ。

*3:Zhang Ting-yu。字は衡臣。安徽省桐城県の人。軍機大臣。父英。軍機処を総理し、雍正・乾隆二代の皇帝の治世を支え、清朝全盛時代の実現に貢献した。

*4:【口葛】爾丹策凌。ジュンガル部の長。父ツェワン=アラプタン。清軍と幾度も交戦しジュンガル部征服を断念させ、ジュンガル部の全盛期を現出した。