脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『田中角栄〜その巨善と巨悪〜』

痛いニュース(ノ∀`) : カップヌードルの四角い「謎の肉」が角切りチャーシューに変更…日清が発表 - ライブドアブログ
あの得体の知れないケミカルさが魅力だったのに余計なことを。モスよりマックの方が人気のある理由を良く考えて欲しいものです。


 初開通(はあと)。つうても薔薇の園に足踏み入れた訳ではなく、ここ一ヶ月の暴飲暴食を見咎められて胃カメラ飲まされただけです。結果は急性胃炎脂肪肝*1大過なくてよかったと思うべきか、この若さで肝臓に爆弾抱えたことを憂うべきか。とりあえず、もう二度呑むもんかと思わせる苦しさでした。胃カメラがあれだけ苦痛なのは、予防効果を狙ってわざとやってるのかも知れませんね。


SRWZ SPD進捗

  • ストーリーモード「ピーター・サービス 業務日誌」第4話「この想いを君に」ZEUTH到着。トップエース:ゲイナー=サンガ@キングゲイナー

田中角栄―その巨善と巨悪

田中角栄―その巨善と巨悪

人生に反則なんてないでしょ

田中角栄
 大正七(1918)〜平成五('93)年。戦後の政治家。新潟県刈羽郡二田村出身。
 小学校卒業後、建設設計業・土木建築請負業を営み、1943田中土建工業を設立。敗戦後、地方財界を地盤に'47新潟3区から衆院議員に当選。当初民主党に属していたが炭鉱国家管理問題で脱党。幣原喜重郎*2らと同志クラブを結成し、'48民自党に合流。'48不当財産取引調査委員会で昭電疑獄を取り上げ、民主党中間内閣追い落としの先鋒を担ったが、炭鉱住宅の建設で莫大な利益を受けていた企業側から炭管反対の為の多額の運動資金を貰っていたことが発覚し、炭管疑獄では逆に裁かれる立場となった。'50長岡鉄道社長、'53理研化学取締役、'60越後交通会長に就任、地方財界に勢力を拡大する一方で、'57第一次岸内閣郵政相、'61自民党政調会長を歴任。'62第二次池田内閣から'64第一次佐藤内閣まで蔵相を連続して勤め、高度経済成長下の財政政策を促進。その後、自民党幹事長、'71第三次佐藤内閣通産相を歴任。佐藤派の中心として、福田赳夫*3と共に閣内・党内で重きをなした。'72佐藤*4退陣後の総裁選では福田を破り、総裁に選出された。田中角栄内閣は「決断と実行」を掲げて発足したが、懸案の日中国交回復を果たしたのみで、「日本列島改造計画」も地価の高騰・インフレに拍車をかけた。田中金脈問題などで非難を浴び、'74内閣総辞職に追い込まれた。'76ロッキード事件で逮捕され、'83第一審で有罪判決、'93上訴中に死去。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

 日本現代史の怪物田中角栄伝。論調としては不世出の偉大な政治家だったと持ち上げつつも、金権腐敗政治の源流を作ってしまったのは流石に拙かったよね。って感じ。悪く言えばどっちつかずの、よく言えば不偏不党の中庸の伝記です。
 八方破れの少年期、立身出世に野心を燃やす青年期、政敵との血で血を洗う戦いに明け暮れた壮年期、位人臣を極め得意満面の絶頂期に、汚名に塗れた落日の老年期。と伝記の見本のようなメリハリの利いた人生で、単純に純粋な読み物としても及第点の物語となっています。特に佐藤政権末期の福田赳夫との次期総裁デッドレースは手に汗を握る白熱振り。政争マニアにとってはたまらないものでしょう。角栄は善なるか悪なるかなんて、無意味な神学論争は次代の歴史家にでも任せて、二十世紀最後の怪物の大暴れと破滅のカタルシスを堪能しましょう。

運命も味方するあたしなら大丈夫

 三十年に亙って国政を壟断し続けた田中角栄の亡霊たち。小泉の手によって悉く祓い清められ、遂に残った最凶最後の怨霊小沢一郎東京地検特捜部の手でチェックメイト。さあこれで日本は少しでもよくなるのでしょうか。願わくば、次の時代では土建屋でなくもう少し文化的な方々が日本の政治を牛耳って欲しいものです。

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帰ってきた今日の一行知識

田中角栄が一番実弾をつぎ込んだ選挙は第10回参議院通常選挙徳島選挙区での後藤田正晴初陣。
結果落選もこの敗北に学んだ後藤田は選挙の神様と呼ばれるまでに成るのだから分かりません。とりあえず綺麗事並べ立てるしか能のない息子の正純は色んな意味で父親に学んだ方がいいと思います。

*1:ついでに腹部エコーもやってます

*2:第44代内閣総理大臣。男爵。父新治郎。国際協調を基礎とする「幣原外交」を展開するも、軍部の台頭により頓挫。戦後、人材不足から総理大臣に担ぎあげられるも、新憲法制定の過程でGHQと対立し下野。

*3:第67代内閣総理大臣。正二位大勲位。父善治。子に康夫。佐藤派の御曹司として将来を嘱望されるも、田中角栄に敗れて一度は総理の座を逃すも、大福密約により戴冠。保守本流を自任する王道政治を目指すも、党内基盤・世論共に味方につけることはできず、第一次大福戦争に敗れ下野。

*4:栄作。第61-63代内閣総理大臣従一位大勲位。父佐藤秀助、母茂世。兄に岸信介。戦後最長の4期7年に及ぶ長期政権を率い、非核三原則の制定や沖縄返還などの功績を挙げ、ノーベル平和賞に輝く。