脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『大蔵大臣』

アメリカンジョークってセンスないよね:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd
これを読む限り、ジャパンンジョークも捨てたもんではないようで。


 受験の時も前の仕事先でも一切無縁だった腱鞘炎に遂になりました。なんと過酷な職場に就職してしまったのでしょうか。つーか今まで自分どれだけサボってたのかって話なんですがね。


SRW進捗

  • 第44話「舞い降りる太陽」クリア。トップエース:ランド=トラビス@ガンレオン。

大蔵大臣 (1949年) (岩波新書〈第22〉)

大蔵大臣 (1949年) (岩波新書〈第22〉)

ずっと子供のころ憧れてた黄金の城

大蔵省
 明治政府によって1869.7会計官を改称して設置された財政官庁。'69以降民部省との合併・分離を繰返し、内務省設置('74.1開庁)で民部省関連の業務が分離され、'86.2制定の大蔵省官制で予算・税・国債・貨幣と銀行に関する事務を所管した。当初は11局で、その後統合され'98には主計局・主税局・理財局と造幣局印刷局のみとなり、印刷局は'98内閣に移管された。葉煙草専売制に伴い1907専売局、'16銀行局、'25官制上の組織として預金部が設置された。日中戦争突入後の統制経済で所管業務は拡大し、組織は頻繁に改廃され、'37為替局('42外資局に)、'38国民貯蓄奨励局('42国民貯蓄局に)、'41監理局('43廃止)、'42総務局('43廃止)、'43銀行保険局('45廃止)、'45金融局がそれぞれ設置され、'43印刷局が大蔵省に復帰する等の変遷をみた。敗戦後の制度の激変の中で、'46外資局は廃止、金融局はは理財局とと銀行局に分割された。'47賠償資産管理等を所管する管財局、国有財産局が設置され、'49両者は合併して管財局となり、'64国有財産局に改称したが、'68廃止。税務行政を所管する外局として'49国税庁が設置された。講和条約発効に伴い'52為替局が設置され、証券取引委員会は理財局に吸収された。'61関税局が復活し、'64為替局が国際金融局に改組された。証券業の拡大に対処して'64証券局が設置。'93証券業監視のために外局の証券取引等監視委員会が設置された。2001.1.6財務省に改組。(『岩波日本史辞典』より引用)

 今回の御本は昭和24年製の年代物。流石に実用性は皆無です。骨董品な思想と美麗な旧字体を愛でましょう。タイトルこそ「大蔵大臣」ですが、取り上げられている大臣の人物伝は少なく*1、資本主義とは人民からの収奪システムに他ならず、大蔵大臣ひいては大蔵省はブルジョアジーの走狗である、と声高におっしゃっておられます。世界恐慌とそれに伴う先の大戦で資本主義経済の命脈は尽きた、早く日本も新たにして完璧なる共産主義経済に一刻も早くシフトすべきであるとの主張は、後知恵で見ると非常に滑稽です。岩波が好きで好きでたまらないジャンキーの人にはかかせぬ本といえるでしょう。半世紀以上前から一切変わらぬ、熟成されたビンテージワインのごとき熟成されたイワナミズムに耽溺しましょう。

胸の奥でくすぶる願いがあるなら叫べ迷わずにさあ大きな声で

 この半月で何人首縊ったか他人事ながらに心配になる株価の乱高下具合。グローバリズムを掲げたアメリカ式資本主義も今度こそは完全に命脈を断たれたことでしょう。では次の世界を築く政体は如何に!と問われれば答えに窮します。今更共産主義帝国主義に封建主義も無いでしょうし、ホントどうなるもんでしょう。莫大な国内地下資源をバックにしれっとプーチン法皇率いるロシアが天下とりそうなのが非常に不安です。麻生閣下率いる日本も頑張ってアキバヲタク主義でテッペン目指してもらえませんでしょうか。その為にも一刻も早い自民民主両党の守旧派駆逐と政界大再編を願います。今のままじゃ、共産党が一番ましに見えてしまって困ります。

マハラジャになりたい!!

マハラジャになりたい!!

帰ってきた今日の一行知識

財務省の表札の字が色気の無いコンピューターフォントの楷書体なのは時の財務大臣宮沢喜一にやる気がなかったせい。
「大蔵」エリートたることを誇りにしていた彼にとって「財務省」への改称は許せなかったようです。しかし、宮沢さんあんたの地元の広島は日本一の筆の産地熊野を抱える書道王国なんすけど。

*1:「最初」の大蔵大臣由利公正、終わりの始まり昭和恐慌期の宰相井上準一郎に高橋是清、そして直近の大臣石橋湛山が比較的多く紙幅を割かれています。余談ですが、昨今のリベラルな方々に神のように崇められてる石橋湛山がぼろくそにけなされているのがちょっと意外。時代によって人の評価は変わるもんだなと改めて。