http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008092500920
引き際がいいとそれだけで評価三割増し。老害の皆さんも弁えましょう。
祝『スーパーロボット大戦Z』発売!依例如例、友人各位へ、暫く引き篭もります。探さないで下さい。
SRWZ進捗状況報告。
第14話「集う異邦人たち」クリア。トップエース:ランド=トラビス@ガンレオン。
いろんな人との繋がりの中でもこれは大事にしたいんだ
能吏
能吏
才能のある役人。事務処理の才能に優れた官吏。能官。(『大漢語林』より引用)
曹操を評して曰く「治世の能吏、乱世の姦雄」の言葉で有名なと言うか、そこでしか使ったことのない、能吏という言葉。意味としては上記の通り、仕事の出来る役人と言う意味のようです。霞ヶ関にはさぞかし多くの能吏が蠢いているのでしょう。今後訪れるであろう、官僚制度再編と言う大乱世にどんな姦雄を輩出してくれるのでしょうか。今から楽しみです。
オマケ:出展は『漢書』「張敞伝」。
- 作者: 竹田晃
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/03
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左文字+吉原
左文字楼
江戸町に居を構える、元禄年間創業の吉原でも五指に入る大籬。
吉原
江戸の傾城街。1617.3日本橋葺屋町東の葭原の開発許可を受け、市中に散在していた遊女屋を集めて作られ、'18.11開業した。これが元吉原で、廓内は五町から成っていた。「あづま物語」('42)によれば、遊女数はすでに987人もあったという。江戸の発展によって周辺が市街の中心となったため、明暦の大火('57)後に浅草寺裏の千束村に移転、これを新吉原とよんだ。当初は高級遊女である太夫も多く、上方に対抗して意気と張りを誇ったが、市中での岡場所の盛行に押され、取締りによる淫売女が遊女の大半を占めるようになったことから、岡場所との差異も少なくなり、十八世紀中頃には太夫は一人もいなくなった。「守貞漫稿」によれば、1848の遊女数は5,111人。
浅田次郎の『天切り松闇がたり』の主人公松蔵の親友並木康太郎の実家。後を継ぐはずの独り息子は家業を嫌い役者*1になり、代わりに迎えた元銀行員の入り婿の西洋趣味が祟って客足が遠のきがちの斜陽の老舗。小説中では、苦界に売られた姉探し*2や筆おろし*3などの吉原がらみの案件の前線基地として多用されています。グーグル先生も一切ご存じなかったあたり、実在は多分してなかった模様。
- 作者: 浅田次郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2002/11/01
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鎮国公+清朝
清
天命元(1616)〜宣統四(1912)年。
初め太祖奴児哈赤*4は国を建てて後金と称したが、第2代太宗*5は1636満蒙漢三民族の共主として国号を大清と改めた。太宗は朝鮮を征服し東部蒙古を併せたが、第3代世祖*6の時摂政睿親王ドルゴン*7は初めて入関して北京を占領し、'44この地を首都と定め長く中国を支配することを宣言した。世祖の時代には明朝遺王遺臣の乱を平らげて国礎を固め、次の聖祖*8は内に呉三桂*9ら三藩の乱と鄭氏の反抗を平らげ、外はロシアの東侵をネルチンスク条約で抑え、外蒙古・西蔵・回部を領有すると共に、諸制度を定め、漢人学者を利用して文化の興隆に精進した。次の世宗*10は更に制度を強化し税制を改革して国富を増し、思想統制・綱紀粛正を行い、密建の法を定め朋党論を布告して中央集権の確立に努めた。こうして高宗*11時代の極盛期が起った。すなわち高宗は十全の功を誇るごとく、内外を討って元朝に次ぐ大帝国を建設し、学問を奨励して『四庫全書』のごとき大編纂をなして文運を盛んにすると共に、満州族の国粋主義を鼓舞して文字の獄により漢民族の反清思想を抑えた。しかしその晩年から仁宗*12朝にかけて、漸く政治が弛緩し軍力の根幹たる八旗兵の実力が低下し、白蓮教の乱は早くも社会の不安を増し、国家財政も悪化し、やがて宣宗*13時代英国との間にアヘン戦争が起こると完敗し、1842南京条約を結び初めて開国するに至った。しかしまもなく太平天国の乱が起こって清朝は窮地に陥り、更にアロー戦争が勃発し英仏軍の北進を受けて益々弱体を示し、穆宗*14の同治中興も効果がなく、遂に徳宗*15の時日清戦争によって敗北した。その後康有為*16の戊戌政変が起こり新旧両派の争いを激化した。次いで義和団の変はその自主改革を促したが、漢民族の反清的気分は次第に高まって孫文*17一派の革命党が興起し、1912辛亥革命によって清朝は滅亡し、中華民国の成立を見るに至った。(『東洋史大辞典』より引用)
清朝における皇族の爵位の一つで、上から五番目*18もしくは七番目*19と低めの位*20。皇帝から数えて五世の孫*21というのだから相当遠縁になります。なので、西太后崩御後の袁世凱追放劇に一役買った鎮国公載沢*22位しか歴史上重要な人物はいません。尤も彼は浅田次郎の小説*23では八面六臂の大活躍なので、氏のファンであれば知らない人は少ないでしょう。
- 作者: 浅田次郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/04/17
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切れない縁がどれくらいあるのかな
現実逃避の鎖国主義を貫いた清朝末期にあって唯一西洋とのコネクションを持ち続けた鎮国公載沢。真の能吏とは時勢に棹差さぬ彼のような人物のことを言うのでしょう。新機軸導入のための改革は、吉原の左文字楼のように一時の衰退を伴いますが、それをやらなければ結局はジリ貧で二進も三進もいかなくなってしまいます。安倍福田政権下で息を吹き返した自民党守旧派の皆さんを多数旗下に従えてる麻生太郎氏はそれを理解してくれてますでしょうか。個人的な麻生閣下支持の意志は揺るぎませんが、最近少し不安になってしまいます。
- アーティスト: SURFACE,椎名慶治,野口圭
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*2:「白縫花魁」、「衣紋坂にて」
*3:「星の契り」
*4:ヌルハチ。女真族を統一し、独立を目指し明に侵攻するも山海関の戦いで戦死。
*5:皇太極。父ヌルハチ。本名:ヘカン。モンゴル・朝鮮を制圧するも父からの悲願たる中原進行を果たせぬまま病死。
*6:順治帝。諱は福臨。父ホンタイジ。ドルゴン摂政下で悲願の中国進出を果たし、親政期には宦官の粛清など明の旧弊打破に力を砕いた。
*7:成宗。父ヌルハチ、母孝烈恭皇后。ホンタイジの下で多大な功を挙げ、一時は後継者に擬されるも、内紛回避の為固辞。甥の順治帝を補佐し、中国統一に尽力。
*8:康熙帝。清朝第4代皇帝。諱は玄菀。父順治帝、母孝康章皇后。外征内政に功績大で、「三世の春」の基礎を築く。
*9:Wu San-gui。昭武帝。大周朝初代皇帝。父嚢。李自成の反乱に際しいち早く清朝に恭順。永暦帝打倒の功により累進。三藩の乱により大周を建国、皇帝を自称するも志半ばに病死。
*10:雍正帝。清朝第5代皇帝。諱は胤蘅。父康熙帝、母孝恭仁皇后。恐怖政治を以って国内粛清に尽力。
*11:乾隆帝。清朝第6代皇帝。諱は弘暦。父雍正帝。通称「十全老人」。四方を侵略し、清朝の最大版図を実現。
*12:嘉慶帝。清朝第7代皇帝。諱は顒琰。父乾隆帝。白蓮教徒の乱や海賊の跋扈に苦しめられるも何とか鎮圧。大清帝国の威信を保つ。
*13:道光帝。清朝第8代皇帝。諱は旻寧。父嘉慶帝。林則徐を登用し、アヘン弾圧を図ったのが、イギリスの逆鱗に触れ、アヘン戦争を招き、清の本格的衰退の端緒をつける。
*14:同治帝。第10代皇帝。諱は載淳。父咸豊帝、母西太后。曽国藩・李鴻章らの活躍ににより、「同治の中興」と呼ばれる安定期を過ごす。
*15:光緒帝。清朝第11代皇帝。諱は載湉。父醇親王。西太后の垂廉聴政に反抗し、親政を強行し戊戌の変法を行うも、戊戌の政変により失脚、軟禁状態となり、西太后の病死と共に毒殺される。
*16:Kong You-wei。広東省南海県の人。字は広厦。戊戌の変法を主導するも戊戌の政変により失脚、日本に亡命。辛亥革命後帰国するも、すでにその理論は時代遅れとなっており、張勲復辟に一縷の望みを託すも挫折。
*17:Sun Wen。中華民国臨時大総統。広東省香山県の人。字は載之。号:中山。通称:「国父」。武昌蜂起を主導し、辛亥革命への扉を開くも、中華民国では指導力を発揮できず、第一次国共合作などで巻き返しを図るもかなわず、「革命未だならず」の言葉を遺し病死。
*18:奉恩鎮国公
*19:不入八部鎮国公
*20:上から順に和碩親王・多羅郡王・多羅貝勒・固山貝子・奉恩鎮国公・奉恩輔国公・不入八分鎮国公・不入八分輔国公・鎮国将軍・輔国将軍・奉国将軍・奉恩将軍