脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

新撰組マニアと十文字腹と現代の外戚について

痛いニュース(ノ∀`) : たった1日で…?“ぶって姫”こと姫井氏、民主党離党を撤回 - ライブドアブログ
政界再編への突破口が一瞬にして単なる茶番劇へ。この姫様小沢のクラッシャーの称号を継げる人材かもしれません。


 定時に帰る気満々のところ、16時50分に舞い込んできたお仕事。悪態つきながらサービス残業してたら、上司が食事奢ってくれました。真面目に仕事はしてみるもんですね。

わたしのために何だってできるよって笑ってたね病んでるわ

新撰組マニア

我等ニ敵ナシ - 脱積読宣言

新撰組
 幕末、京都に於ける尊攘派らを鎮圧した浪士組。1863清川八郎*1らが幕府と協議して結成した浪士隊が京都に入り、清川らが江戸に引き揚げたのちも芹沢鴨*2近藤勇*3らは京都に残留し、京都守護職支配下に近藤が局長となり、壬生に駐屯した。尊攘派池田屋事件などで鎮圧。戊辰戦争では甲州などで戦ったが敗北、解散した。(『岩波日本史辞典』より引用)

マニア
1熱狂、熱中、夢中。
2一つのことに異常に集中する人。
(『広辞苑 第五版』より引用)

 子母澤寛が扉を開き、司馬遼太郎が火を点けた新撰組ブームも今では完全に定着し、多数のマニアを擁するに至っています。そのマニア達の狂信振りが最も端的に表れたのが『るろうに剣心』のキャラクター人気投票。なんと、回想シーンでほんの数コマ登場しただけの沖田総司が第7位入賞してしまいました。最近ではそこまで無軌道ではないようですが、打ち切り街道まっしぐらだった『銀魂』が新撰組をモデルとした真選組を登場させた途端人気爆発で遂にアニメ化!と腐女子新撰組マニアの底力は侮れないものがあります。願わくばミーハーな新撰組マニアの皆さんがいつの日か、視野を広げて幕末のひいては日本史の虜になりますように。

切腹+十文字

フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリ - 脱積読宣言
HEART OF SWORD - 脱積読宣言

切腹
 自ら腹を切って死ぬこと。腹切りとも。自殺と刑罰に用いられた。①平安時代末に始まり、武士の自殺の作法となった。主君の死に殉じて切腹することを追腹、他から迫られて行うのを詰腹とも言った。②江戸時代、大名・旗本・上級武士の刑罰として適用。実際には腹を自ら切ろうとする瞬間に介錯人がその首を打ち落とした。(『岩波日本史辞典』より引用)

十文字
1「十」の字の形。縦横に交叉した形。
2身を前後左右に翻し縦横に動き回るさま。また、太刀・槍などを縦横に扱うさま。
3紋所の名。「十」字を表したもの。丸に十字など。島津氏などの紋。
4楮を原料として簀を縦横に揺り動かし、繊維をよく絡み合わせた強靭な紙。美濃・常陸の産が有名。
5十文字槍の略。穂先の下部に左右の枝があって十文字の形をした槍。
6十文字轡の略。鏡板に十文字の透かしのある轡。
(『広辞苑 第五版』より引用)

 十文字腹のやり方。
1、まず普通に腹をかっさばく。
2、気力を振り絞って鳩尾に刀をつきたて、そのまま臍下まで切り下ろす。
3、傷口に手を突っ込んで、臓物を掻き出す。
4、それでも死ねなければ、喉を突いておしまい。
 
 十文字腹こそが、正式な切腹の作法にして、究極の姿である。とはよく言われますが、実際には横一文字に掻っ捌いた時点で精根尽き果てて介錯を懇願。どんな豪傑も鳩尾貫くのが精一杯。ってのが現実だったようです。それ考えると、三段に腹掻っ捌いて果てた武市瑞山ってのは化け物だったんだなと。

切腹 日本人の責任の取り方  (光文社新書)

切腹 日本人の責任の取り方 (光文社新書)

小和田恒浩宮

亡国覚醒カタルシス - 脱積読宣言

小和田恒
 昭和七(1932)年〜。日本国際問題研究所理事長。元国連大使新潟県新発田市出身。東京大学教養学部卒業。父:穀夫*4、長女:雅子皇太子妃*5、次女:池田礼子*6、三女:渋谷節子*7、兄:顕*8・統*9
 1955外務省入省。駐ソ公使を経て、'84.1条約局長、'87.1官房長、'88.1OECD代表部大使、'89外務事務次官に就任。'93.6長女の雅子が皇太子殿下と結婚、'93.8退官。'94.3国連大使となる。'97.1安全保障理事会の委員長を務める。'98.9退任。'99ウォルフェンソン世界銀行総裁の顧問就任。(『新訂 現代日本人名録2002』より引用)
受賞歴
ドイツ連邦共和国功績勲章(1994)

皇太子徳仁
 昭和三十五(1960)年〜。日本国皇太子。東京都千代田区出身。学習院大学人文科学研究科修了。父:今上天皇*10、母:美智子皇后*11、妻:雅子皇太子妃、長女:愛子内親王*12、弟:秋篠宮文仁親王*13、妹:黒田清子*14、祖父:昭和天皇*15、祖母:香淳皇后*16
 今上天皇第一皇男子。皇位継承順第1位。幼少時の称号浩宮。1966学習院幼稚園、'72同初等科、'75同中等科、'78同高等科卒業。'78学習院大学文学部史学科入学。'80.2.23皇統譜に登録され、成年皇族として、摂政就任、皇室会議議員となる資格を得る。'82.3同大学卒業、'82.4同大学院進学、'83.6オクスフォード大学マートン・カレッジ留学の為渡英。'85.10帰国。'89.1.7立太子。'89.7オクスフォード大学名誉研究員。'91.3立太子の礼。'92学習院大学史料館客員研究員。'93.6.9小和田雅子と結婚。(『新訂 現代日本人名録2002』より引用)
受賞歴
オクスフォード大学名誉法学博士(1991)
ロッコ勲一等ウイカム・L・モハマディ勲章('91)
ベネズエラ・リベルタドール大勲章('92)

 左文字以外の国民全員と小和田家の悲願を乗せて誕生なされた愛子内親王。彼女の誕生以来、外交官時代に築き上げた人脈を駆使して、女性天皇、ひいては女系天皇を容認する方向への皇室典範の改定に暗躍しているのがうかがえる小和田恒氏。「現代の外戚」の言葉がちらつくその姿は疎ましくも微笑ましいものでしたが、切り札の娘雅子妃の心がへし折れてしまって以来、その運命は暗転。婿殿はその際の対応で大いに男を下げ、代わって株を上げた川嶋一族筆頭秋篠宮様は四半世紀にわたる王家の呪いを見事打ち砕く待望の男児出産。見事にその野望は後退を余儀なくされたのでした。さあ皆さん平安時代を学び直して、外戚の弊をもう一度きちんと認識しましょう。外交屋なんぞに廟政を壟断させてはいけません。

外交とは何か

外交とは何か

願いはかなうって愛されるって赤い文字を刻んだ

 民主皇室に生まれた待望の後継者浩宮ですが、長じたその姿は正直国家の象徴たるべき貫禄と器量を感じることはできません。こういっては悪いですが、嫁さん一人制御できない人間が国家元首の器とは思えません。このまま戴冠しても岳父小和田恒の容喙を受けてしまうのではないかとの懸念がぬぐえません。歴史マニア的には外戚の跋扈はどうしても亡国の一里塚に思えてしまいます。十文字の切腹を果たすつわものや、新撰組のような豪傑たれとはいいませんが、せめてもう少しどっかと構える貫禄か、西洋貴族のようなスマートな老獪さが欲しいもんです。

さよなら絶望先生 キャラクターソングアルバム

さよなら絶望先生 キャラクターソングアルバム

帰ってきた今日の一行知識

新撰組のエピソードの殆どは子母澤寛の創作
聞き書きを作る際に小説家の本能で脚色創作加え倒したようです。なまじ実力あるもんだから、皆がそれ信じ込んじゃったってのが真相の模様。司馬遼太郎といい彼といい、優秀すぎる歴史小説家ってのはなかなかはた迷惑な存在ですね。

*1:正明。浪士組盟主。北辰一刀流免許皆伝。父斉藤豪寿。島津久光上洛や浪士組結成など数々の策謀をもって尊王攘夷の完遂を図るも悉く頓挫。その行状を憎まれ佐々木只三郎らによって暗殺。

*2:光幹。新撰組筆頭局長。神道無念流免許皆伝。父貞幹、養父下村祐斎。旧名:下村嗣司。天狗党の一員として水戸に悪名を流し逮捕。出獄後新撰組を結党し、京都に再び雷名を轟かせるも、性格の粗暴さを憎まれ近藤一派のクーデターにより暗殺される。

*3:昌宜。新撰組局長。天然理心流剣術4代目宗家。父宮川久次郎、養父近藤周助。新撰組を指揮し、池田屋事件など佐幕派の尖兵として京都の治安維持を担当するも、度重なる内部粛清により、組勢は縮小。戊辰戦争での度重なる敗北に気落ちしたか、新政府軍に出頭し処刑。

*4:高田市教育委員長。父金吉、母竹野。

*5:徳仁親王妃。母(江頭)優美子。子に愛子内親王。外務省出身の皇太子妃として外交面での活躍を期するも、「伝統」と宮内庁の容喙により挫折。現在適応障害で療養中。

*6:国連職員。母(江頭)優美子。夫に祐久。

*7:翻訳家。母(江頭)優美子。夫に健司。

*8:専修大学教授。父穀夫、母静。漢文学者として数々の漢和辞典の編纂に関与。代表作:『漢和辞典』(旺文社)・『新字源』・『漢和辞典』(福武書店)(編者)他。

*9:海上保安庁次長。父穀夫、母静。

*10:第125代天皇。諱は明仁。父昭和天皇、母香淳皇后。平成期現代の天皇陛下。全国遊説や外遊など精力的な公務をこなす。

*11:正田英三郎、母(副島)冨美子。子に徳仁親王文仁親王黒田清子。平民初の皇后として、閉鎖的な王家の伝統の開明に尽力。

*12:学習院幼稚園生。母雅子皇太子妃。初の女系皇位継承の是非をめぐる議論の当事者となるも、現在健やかに成長中。

*13:山階鳥類研究所総裁。父今上天皇、母美智子皇后。妻に(川嶋)紀子、子に悠仁親王。伝統に固執しないものの、王家の藩屏たる皇族として、父や兄を補佐。

*14:主婦。父今上天皇、母美智子皇后、夫に慶樹。親しみやすく驕らない人柄で気さくに公務に従事。現在は兄の友人と恋愛結婚し、専業主婦生活を満喫中。

*15:第124代天皇。諱は裕仁。父大正天皇、母貞明皇后。現人神から象徴天皇へ。「君臨すれども統治せず」のポリシーの下、激動の昭和史を見守り続けた。

*16:昭和天皇皇后。諱は良子。父久邇宮邦彦王、母(島津)俔子。子に東久邇宮成子、祐子内親王、鷹司和子、池田厚子今上天皇常陸宮正仁親王島津貴子