脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

pastel pureと講談社と張作霖について

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中東のハンドボールを一切笑えませんね。所詮アジア人に健全なスポーツ大会運営なんてものは不可能なのかも知れません。


 会社でしゃがんだらスーツのズボンが破れた。不味い、本気で痩せよう。

どうしたら最後までがんばれるの?壊れずに

pastel pure+歌詞

Chercher〜シャルシェ〜pt1 - 脱積読宣言
pastel pure - 脱積読宣言

pastel pure
テレビ東京系アニメ『マリア様がみてる〜春〜』オープニング主題歌。
唄:ALI PROJECT、作詞:今野緒雪*1、作編曲:片山三起也*2
収録:『pastel pure』
初出:『pastel pure』(2004.8.25)
歌詞はこちら

歌詞
1詩歌の言葉。歌う言葉。
2和歌で多く用いる言葉。
3歌うように節付けされた言葉。歌謡曲の文句。
(『大漢語林』より引用)

 pastel pureの歌詞は、無印『マリア様がみてる』の主題歌として使われていた同タイトルのインスト曲に、次期シリーズの朝帯進出の際に急遽付け加えられたものです。流石にメインターゲットが低年齢層な時間帯の番組の主題歌に歌詞が無いと不味かったんでしょうか。原作者の今野緒雪先生御自らの作詞で、実にリリアンな雰囲気の歌詞となっています。実にアリプロらしからぬ一切毒を含まぬ純真無垢な詩は一聴の価値あり。しかし、後付+「プロ」でない人間の作詞のコンボで実に歌いにくそうな節回しになってしまっているのはケンチャナヨ

pastel pure

pastel pure

講談社

STAND UP TO THE VICTORY〜トゥ・ザ・ビクトリィー〜 - 脱積読宣言

講談社
 出版社。東京帝国大学法科主席書記だった野間清治*3は、1909.11大日本雄弁会を設立、’10.2雑誌『雄弁』を創刊。その一方で野間は、’11.11雑誌『講談倶楽部』を創刊し、発行元を講談会とした。以後、『少年倶楽部』『面白倶楽部』『婦人倶楽部』『現代』などの雑誌を創刊。’24.11大衆雑誌『キング』を創刊し、この頃、社名を大日本雄弁会講談社とする。占領期には、戦中の戦意高揚的な出版物で戦争責任を追及されたが、その後も週刊誌や一般書、文庫、コミックス等幅広く出版している。’58.12講談社に社名変更。(『岩波日本史辞典』より引用)

 凋落の一途を辿る日本出版界を敢然と支え続ける二大巨頭の一方の雄、音羽屋グループの筆頭。最近はライバルの小学館に売り上げで追い抜かれはしてますが、その歴史と実力は他の出版社の追随を許しません。
 出版物の傾向も軟派な印象の強い小学館とは一線を画す硬派なものが多い印象です。講談社学術文庫に代表されるような、学術書の体裁を守りつつも、価格注釈構成で少しでも一般人にも優しいものにしようとする姿には老舗出版社の良心と矜持を感じます。

 以上、太鼓持ち的な賛辞を並べ立てましたが、私はこの会社がキライです。何故かと問われれば、就活の時書類選考で落としやがってくれたからです。ケッ。

さよなら絶望先生(13) (講談社コミックス)

さよなら絶望先生(13) (講談社コミックス)

張作霖

nowhere - 脱積読宣言
鎮魂頌 - 脱積読宣言

張作霖Zhang Zuo-lin*4
光緒元(1875)〜民国十七(1928)年。中国の軍閥奉天派の首領。字は雨亭。
 遼寧省瀋陽の人。日清戦争から復員後、馬賊となる。日露戦争後に頭角を現わし、辛亥革命で功を立て師長となる。袁世凱*5の信任を得て、1916奉天督軍兼省長となり、張勲復辟に加担した憑麟閣*6の失脚で、奉天全省を掌握。'18安徽派と結び関内に進出、東三省巡閲使となる。次いで、吉林黒龍2省を従え、安直戦争でチャハル部を抑え、外蒙事件で熱河を得た。関内への再進出を試み、'22第一次奉直戦争で呉佩孚*7に敗れ、'24第二次奉直戦争で憑玉祥*8と結んで勝利し、段祺瑞*9を擁立して、その勢力を上海まで延ばした。'25反奉戦争の展開で勢力を失い、郭松齢事件で危機に陥ったが、日本の関東軍の干渉で救われた。'26呉佩孚と結んで「反赤戦争」を起こし、'27軍政府を組織して北京に君臨したが、翌年北伐に敗れ、奉天(現瀋陽)から引揚げの途上、関東軍の陰謀により爆死。(『コンサイス人名辞典 外国編』より引用)

 誰が呼んだか東北王。日中ソ三ヶ国の利権と思惑が複雑に絡み合う人外魔境満洲地方で、四半世紀に亙って覇を唱えた英雄張作霖。昨今の自虐史観新自由主義史観では、関東軍=悪の図式が定着しすぎて、満州国独立を目指す関東軍の傀儡として使い捨てられた哀れな犠牲者にされてしまっている感のある彼ですが、実態はもう少し英雄然とした立派な人物です。以下彼の人生を語られることも少ない彼の馬賊時代を中心に
概説。

 祖父の代に満州の地に移住してきた漢族開拓民の子としてこの世に生を受けた張作霖。父の死後母の再婚相手の獣医の下で磨いた馬の治療の腕と、日清戦争従軍の経験を武器に、とある匪賊の下に身を投じます。しかし、性根の優しい彼に極悪非道の残虐な生き方は向かなかった様で、その匪賊の主な収入源の一つだった女性の誘拐に反対し出奔します。以降はその際の経験を武器に大地主だった岳父の土地を守る馬賊として一本立ちします。
 雨後の筍のように乱立する新興弱小馬賊の一つとして、細々と馬賊稼業に所為を出していた張作霖ですが、義和団事件以後満洲地方への介入を深めるロシアの援助を受けた「隣国」の金万福に破れ、八角台に居を構える大馬賊「好大人」こと張景恵の下に転がり込みます。そこで生来の大器を見抜かれたか、それとも好大人が家業の豆腐屋に忙しくなったのか、馬賊頭目の地位を丸ごと譲られ、覇道を歩み始めます。

 以降の人生は皆さん知ってのとおり。日露戦争で日露両国の二重スパイをやっていたのが日本軍にばれ処刑されかけていたのを、田中義一に救われたのが縁で日本軍との関係を深めます。以降清国に帰順してからは、辛亥革命に同調せず、日本軍や袁世凱の援助を背景に満洲地方の独立を謳い、東北王の一歩を踏み出します。そこで満足しておけば、日本も民国も両方丸く収まっていたのですが、彼の野望はそこでは終わりません。中原への進出を企図し、関東軍の諫止を振り切り幾度と無く遠征を行います。結果蒋介石の北伐を招き、東北地方の独立すら危うくしてしまいました。その為、暴走を続ける張作霖関東軍にとって最早邪魔者以外の何者でもなくなり、日本との蜜月関係の継続を望む重臣連と東北地方の経営への介入を目論む関東軍少壮将校らの思惑は合致し、中華民国軍の仕業に見せかけ爆殺されてしまいました。しかし、神輿にするはずだった彼の息子の張学良は思った以上に気骨があり、反日本を掲げ、中華民国軍と合流。国共合作を成し遂げ、日本の大陸進出の野心を打ち砕くのでした。

馬賊で見る「満洲」―張作霖のあゆんだ道

馬賊で見る「満洲」―張作霖のあゆんだ道

あなたのあの言葉は歩き続けるためのロザリオ

 この世におのこと生まれなば、一度は夢に見るのは新天地での独立。pastel pureの歌詞に歌われるような朝もやに包まれた満洲地方は、そんな行き場を失くした無謀な夢だったのでしょう。講談社の『中原の虹』の主人公張作霖のように東北王と呼ばれるほどにのし上がった英雄の存在は、数多の大陸浪人の希望であったことでしょう。やはり男は全ての煩わしいコネや来歴が何の役にも立たない完全実力主義の秩序無き無主の地に憧れるものです。政府や識者もNEET対策を謳うなら、下らない小手先の対処療法に終始せず、ネット世界に変わる新天地を彼らに提供してあげるべきでしょう。

 ああなるほどこういう論理で大日本帝国は戦争の道を突き進んだんですね。なんだか納得。

君がいるから・・・

君がいるから・・・

*1:代表作:『マリア様がみてる』『夢の宮』『スリピッシュ!』(小説)他

*2:ALI PROJECT作編曲・キーボード担当。代表作:「おとめの反乱」「螺旋のプロローグ」(作曲)、『怪物王女』(音楽)他。

*3:通称:「雑誌王」。代表作:『体験を語る』『武道宝鑑』『私の半生』他。

*4:一声-四声-二声

*5:Yuan Shi-kai。字は慰亭。河南省項城県の人。中華民国初代大総統。通称:「ストロング・マン」。李鴻章の後継者として頭角をあらわし辛亥革命を主導。

*6:徳麟。二八師団長。満州馬賊〜新民府帰順時代の張作霖のライバル。

*7:Wu pei-fu。字は子玉。山東省蓬莱県の人。直隷派を率い北洋軍閥で重きを成すも、第二次奉直戦争に破れ失脚。

*8:Feng Yu-xiang。字は煥章。安徽省巣県の人。国民党革命委員会中央委員。通称:「クリスチャン・ゼネラル」国民党内にあって反蒋の立場を貫く。

*9:Duan Qi-rui。字は芝泉。安徽省合肥の人。中華民国臨時執政。「北洋の三傑」が一。安徽派の首領として袁世凱に協力、彼の死後は北京臨時政府の指導者として日本との協調路線をとるも安直戦争に敗れ下野。