脱積読宣言

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『戦後政治裏面史〜「佐藤榮作日記」が語るもの』

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 ようやく荷物搬出完了。流石に段ボール30箱弱の本をエレベーターなしの4階から運び出すのは事でした。因みにうち6箱半、約300冊はBookOff行き。計\10,000強なり。高いんだか安いんだか。

戦後政治裏面史―「佐藤栄作日記」が語るもの

戦後政治裏面史―「佐藤栄作日記」が語るもの

遠い昔にあったもの何か思い出したいけれど

佐藤栄作
 明治三十四(1901)〜昭和五十('75)年。戦後の政治家。岸信介*1実弟山口県熊毛郡出身。東京帝国大学法学部卒。
 鉄道省に入り、陸運監理官・監督局総務課長などを経て、1941監督局長。続いて、運輸省自動車局長・大阪鉄道局長・鉄道総務局長官を勤め、'47運輸次官就任。敗戦前後の軍需・資材輸送の実権を掌握した。'48退官して自由党に入党。第二次吉田内閣官房長官に起用され、池田勇人*2と並んで吉田*3の片腕としての地位を獲得。'49以来山口2区から連続当選。'49自由党政務調査会長、'50自由党幹事長、'51第三次吉田内閣郵政兼電気通信相、'52第四次吉田内閣建設相を歴任。'53幹事長に再任されたが、'54造船疑獄にあたり、吉田首相の計らいで逮捕寸前に異例の指揮権発動により救われた。吉田引退後、吉田直系派閥を池田と二分。'58第二次岸内閣蔵相、'61第二次池田内閣通産相、'63科学技術庁長官。高度経済成長期の経済閣僚のポストを占め、自民党総裁・首相への足場を固めた。'64病気になった池田首相から後継総裁に指名されて以来、'72.7退陣まで4選を果たし、連続7年8ヶ月という史上最長政権を維持した。その間、'64ILO87号条約批准、'65日韓条約締結、'69大学臨時措置法成立、'70日米安保条約自動延長、'72沖縄返還など、戦後外交事件の処理に当たった。'74日本人初のノーベル平和賞に輝くが、内外からその受賞に批判があった。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』より引用)

 人の日記を読むのは面白い。のですが、基本人に読ますために書いてないので、余程その人と近しいか、周辺事情に通じてないとちんぷんかんぷん。という訳で出てくるのが、この本。激動の昭和30年代を駆け抜けた名宰相佐藤栄作の遺した日記を詳細に解読。論調が実に岩波岩波してて主観入りまくりで注釈本の域を遥かに越えた、佐藤栄作日記を底本にした政治コラムっぽくなってしまっているのが残念ですがそれを差し引いても十二分に読む価値のある本だと思います。吉田・鳩山・岸・両三木・河野・池田・大野と自民党黎明期の綺羅星のごとき名政治家連中が大挙登場するのだからおもしろくならないわけがございません。最近のお上品なお坊ちゃん政治家に飽き飽きした人は是非ご一読を。権謀術数渦巻く政争の醍醐味を堪能できますよ。

魔法のような誰かの声響く方へと

 首相の能力を論ずる一つの指標に政権を維持できた期間で計ることがあります。その伝で行くと、小泉・中曽根ら近年の名宰相を遥かにぶっちぎり伊藤・桂に迫らんとする戦後最長の7年8ヶ月の記録を打ち立てた佐藤栄作こそが戦後最高の名宰相だということになるんですかね。個人的には今一納得しかねるのですが。何がそう思わせるかとつらつら考えるにやはり演説やパフォーマンスの致命的な稚拙さが思い浮かびます。いかに政治後進国の日本といえど、最早世論無視の豪腕政治家の出る幕ではないのでしょう。小沢さんもう貴方の時代ではありません。さっさと引退した方が、民主党の引いては日本のためですよ。とは言え、代わりが岡田や前原か・・・。やっぱり多少の腕力は必要ですね。

溶けていく夢の果てに

溶けていく夢の果てに

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*1:第56-57代内閣総理大臣。正二位大勲位。父佐藤秀助、母茂世。孫に安倍晋三。「満州の2キ3スケ」が一。通称:「昭和の妖怪」。新安保条約批准。

*2:第58-60代内閣総理大臣。正二位大勲位。父吾一郎、母うめ。「大蔵省の3田」の一。所得倍増計画

*3:茂。第45・48-51代内閣総理大臣従一位大勲位。父竹内綱、母瀧子、養父吉田健三。孫に麻生太郎。通称:「和製チャーチル」。サンフランシスコ講和条約調印。