脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

阿修羅姫と炎の言霊と君が代について

痛いニュース(ノ∀`) : 元MS副社長の古川氏、2chのVista WikiをMS公式サイトと勘違いし激怒 - ライブドアブログ
炎上回避のお手本。流石にCTOまで上り詰めるような人はモノが違います。


 サボリの言い訳:珍しく家に女の子が来ることになったので、大掃除兼模様替えを行いました。まさか丸二日がかりになるとは。てな訳で本文は明日更新。

 今宵の御題「阿修羅姫+叫び続ける」「炎の言霊」「君が代+千代に八千代に」。お、なんだか今回は脈絡を感じるぞ。

愛の御旗のもとに集う乙女たち

阿修羅姫+叫び続ける

阿修羅姫 - 脱積読宣言

阿修羅姫
ALI PROJECTの13thシングル。2005.6.5.Mellow Headより発売。(『舞-HiME 運命の系統樹』オープニング主題歌。c/w「君がため、惜しからざりし命さへ」)
作詞:宝野アリカ、作編曲:片倉三起也
オリコン初登場・最高位23位*1、総売上19,471枚*2
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 一気に知名度を上げた『禁じられた遊び』の次のシングル。タイアップが弱かった所為か、売上げ自体は多少物足りない感じですが、「主題歌」としての世界観とのマッチングはほぼ完璧の出来であり、「耽美・退廃」にとどまらぬ抽斗の豊富さを証明し、「アニソン」歌手としての地位を確固たるものにした画期的な作品と言ってもいいのではないでしょうか。 

 曲調は絢爛豪華な曲に乗せて愛の業の深さを歌い上げる肌に纏わり付くような情念を感じさせる一品。Bメロの「鮮血のヴィーナス 素肌に鎧うのは 金襴の鎧よりも美しい 愛と云う傷跡」などが特に印象的なフレーズでした。主題歌としては、栗林みな実の、青春の瑞々しさを感じさせる「Shining☆Days」とうって変わったどろどろした雰囲気で、アニメ版とゲーム版の空気の違いをよく表しているように感じます。現在のアニソン作家は数あれど、その作品の空気主題を的確に表現することに関しては、宝野アリカ梶浦由記に勝るものはいないでしょう。

 オマケ:タイトルの解釈。サビに歌われている「夜叉・般若の顔 華の貌」のとおり、HiME達の「華」=「女の子としての美しさ」、「般若」=「愛に狂う女」、「夜叉」=「HiMEの運命を背負った悪鬼の如き戦い」の三面性を表す。

阿修羅姫

阿修羅姫

炎の言霊

正義と悪との識別完了 - 脱積読宣言

『炎の言霊〜島本和彦名言集』
島本和彦著、1997.8.31.朝日ソノラマより第一刷発行。全204頁
収録内容
第一章:男之言霊
第二章:孤高之言霊
第三章:無謀之言霊
第四章:逆境之言霊
第五章:歴史之言霊
第六章:恋之言霊
第七章:達観之言霊
第八章:心之言霊
第九章:勝負之言霊
第十章:野球之言霊
第十一章:拳闘之言霊
第十二章:実技之言霊
第十三章:奇天烈之言霊

 感想は上記リンクの通り。しゃちょこばって論ずるのも失礼な気がするので名言をいくつか引用。

  • 「ボクシングにも人生にもランクってもんがある。(中略)自分が今どのランクに属するのか、それは相手が教えてくれるのさ」(トレーナー立水『挑戦者』)・・・友人連を見回すに・・・負け組?
  • 「この世の中みんなかったりーんだよ(中略)ただそれを口にするやつとじっと黙ってるやつとがいるだけなんだ」(ボクサー『オンセンマン』)・・・しばらく、大儀ぃ、しんどい、面倒いを禁句にしてみようかな。
  • 「一人で何もできないやつは―力を貸してやってもできませんよ・・・」(トレーナー立水『挑戦者』)・・・助けてと叫ぶ前に、自分に助けてもらう価値があるのかどうかを考えるべきですね。
  • 「あたしは(中略)あこがれる対象はいつも崇高な存在でいてもらいたいの・・・あたしなんかにふり返るような人なんか ごめんだわっ!!」(青空みさと『恋の資格がナッシング』)・・・なるほど、俺がもてないのはこの所為か!

炎の言霊―島本和彦名言集

炎の言霊―島本和彦名言集

君が代+千代に八千代に

君が代は千代に八千代に - 脱積読宣言

君が代
 日本の国歌とされている歌曲。歌詞は古今和歌集にある「わが君は・・・」の歌が変化したもので、賀歌として歌い継がれて近代に至る。1869イギリス軍楽隊長フェントンが曲を付け、海軍内で改良され演奏されるようになった。一方'82政府は文部省音楽取調掛に国歌選定を命じたが、作業は中止され、選定に至らなかった。教育勅語発布後の'93文部省は「君が代」を含む儀式用の歌曲を6曲定め、以後学校で「君が代」がしばしば歌われるようになった。1937の国定教科書では〈国歌〉と表現された。'50年代以降〈主権在民〉と矛盾するとの批判にもかかわらず、日の丸とともに学習指導要領を通じて復活し、〈国歌〉〈国旗〉として学校で強制されるに至っている。'99国旗・国家法成立。(『岩波日本史辞典』より引用*3

 辞書があてにならないので、君が代成立の歴史を略述。 
 『古今和歌集』「巻第七 賀歌 題・よみ人しらず」の「わが君は千世に八千世にさざれ石の巌と成りて苔のむすまで」を原歌とする歌。広く歌い継がれていた為か語の異同*4が多く、今の形の初出は『和漢朗詠集』。元は天皇の長寿を寿ぐ為に歌うためのものであったようだが、歌詞の汎用性からか、人物を特定しない一般的な賀歌に変化していった模様。江戸時代には隆達小唄・浄瑠璃常磐津・門付け唄などに用いられ、広く人口に膾炙していました。

 さて、その民謡が国歌に制定されるまでの経緯。明治二(1869)年イギリス公使館護衛歩兵隊軍楽長フェントンが、天皇通過時の礼曲の制定を薩摩首脳部に進言、それを聞いた大山巌が薩摩陸軍で愛唱されていた薩摩琵琶歌「蓬莱山」の歌詞を選び*5、フェントンに作曲を依頼し完成。翌三('70)年九月に東京深川越中島での日本発の観兵式で演奏されたのが初。
 しかしあまりにも洋風すぎる為か、不評を極め、フェントンの帰国を期に海軍省から曲の変更が打診*6される。依頼された宮内省雅楽課は十一('78)年若手奥好義が作曲した曲を楽長林広守の名で提出。海軍はこれを採用し、海軍御雇教師エッケルトが洋風の和声を追加し、現在の形が完成。同十三('80)年十一月三日の天長節が初披露。

 以降陸海軍の天皇礼式で用いられていたが、同二十六('93)年文部省告示第三号*7で小学校の儀式用の楽曲として指定され、昭和十二(1937)年には、『小学修身』の教科書で「国歌」の文字が冠せられた。敗戦に伴い使用は一時停止されるも、朝鮮戦争に伴う「逆コース」の流れに乗り、昭和二十五('50)年の文部大臣通達*8により復活。同五十二('77)年の学習指導要領で再び「国歌」の冠を手に入れ、平成十一('99)年の「国旗及び国歌に関する法律」で誕生後百年の時を経て、ようやく正式に国歌に制定される。

君が代

君が代

夢と希望と明日と正義を讃える

 本体の天皇家に負けず劣らずの毀誉褒貶と存亡の危機の波を乗り越えて今に至る「君が代」ですが、サヨクな人々が叫び続けるほど国歌にふさわしくない歌でしょうか。日本の伝統文化を引き継ぎ、国体を上手く表現する見事な選曲だと思うのですが、何が悪いのでしょう。自身の国の王家の繁栄が千代に八千代に続きますようにと祈られて困るってのは、国歌顛覆を企む外患誘致の奸族どもの思惑が感じられてなりません。勿論戦時中の辛い思い出が蘇るというご老人方の気持ちも分からないではないですが、個人的な感情で否定することほど見苦しいものはないと思います。言ってる本人達は気付かないのでしょうか。女の嫉妬は『阿修羅姫』の様に芸術に昇華できますが、男の愚痴や嫉妬は負け犬の遠吠え以上にはなりえません。団塊の世代の方々貴方の時代はもう終わったことを素直に認めてください。

 もっとも、現在の「君が代」が物足りないという気持ちは私にもあります。「ラ・マルセイエーズ」や「星条旗よ永遠なれ」なぞの勇壮な国歌への憧れは捨て切れません。厳粛な儀式に「君が代」は最適だと思いますが、もう少し気軽に歌える第二国歌を制定してもいいのではないでしょうか。私は炎の言霊を高らかに歌い上げるJAM Projectを推薦します。

今日の一行知識

明治初期英語を漢文に倣い、書き下し風に読む翻訳方法があった。
「This is a pen.」=「this(これ)はa(ひと)つのpen(ふで)なり。」なんて具合ですかね。 ぽしゃって良かったような、残念なような。

[http://www.youtube.com/watch?v=Py3Q7076Msg:titl

*1:初動売上8,447枚

*2:2005.8.22時点。オリコン登場回数10回

*3:引用しといてなんですが、酷い説明です。成立過程が適当すぎるし、主観も入りすぎ。岩波クオリティ全開です。辞書位まともなの書けよ。

*4:「わが君はちよにましませ・・・」「・・・さざれ石の巌に成りて苔むすまでに」など。他にも宗祗の解釈では「君が代は千代にや千代に・・・」という説も

*5:フェントンが西郷隆盛に縁故のある教え子の頴川宗之進に伝言を頼むも、西郷は東北遠征中で不在。代理で言付かった大山と同席した野津鎮雄・大迫貞清が相談の上決定。

*6:明治九(1876)年海軍軍楽長中村祐庸が「楽譜改訂上申書」を提出。

*7:「小学校に於て祝日大祭日の儀式を行うの際、歌唱用に供する歌詞並楽譜」に指定。同時に「一月一日」「紀元節」など8曲も指定される。

*8:「(学校行事の際、)国旗を掲揚し、国歌を唱和することが望ましい」