脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

祝秋篠宮殿下男児誕生

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060906-00000004-yom-soci
これで益々兄貴の影が薄く・・・

 おめでとうございまーす。小泉超幸運伝説更新。五十年の長きに亙り王家を苦しめ続けた女児の呪いを一刀両断。名宰相小泉にとって、この最後のご奉公こそが日本国にとって最も偉大な功績として語り継がれることでしょう。
 一方、反日主義者及び旧宮家の皆様におかれましては誠にご愁傷様です。心から哀悼の辞を贈らせていただきます。高校時代に「俺等はラッキーな時代に生きている。天皇家滅亡の瞬間が見れるのだから」と恍惚の表情でのたまわっていた日本史の恩師は、この良き日にどのような顔をしているのでしょうか。

 てなわけで、こんなお祭り、踊らにゃ損てなわけで、皇位継承についての雑感をだらだらくっちゃべってみたいと思うです。例によって、尊王の気持ちの欠片もない不敬極まりない駄文ですので、以下右翼の皆さんは閲覧禁止。

嘆キノ壁ハ積ミ上ゲラレテ 愚カノ神ハ奉ラレル

歴史で辿る皇位継承の基本条件

 古代の皇位継承は兄弟相承を基本とし、その世代が終わると次の世代に直系相続というものでした。次の世代の連絡では一応一番上の兄の子孫が継承というのが原則のようですが、実際は兄弟の中で一番実力のあるものの子孫に継承という感じだったようです。こんな適当なことやってるから両統迭立が日常茶飯事になるのは当たり前です。
 奈良時代に入るとその原則に加え、藤原本家の母を持つことが要求されます。奈良期の女帝乱発は一重にここに原因があるようです。平安時代に入ると流石に優先される程度になりますが、お陰で平安時代の継承順は天皇家を中心にするより、藤原北家を柱にした方が理解しやすい歪なものになっています。
 摂関時代が終わりを告げ、後三条帝の手により院政が開始されると、漸く現在に続く父系直系相続が見えてきます。とは言え、兄弟相承の原則も残っているので、鎌倉・南北朝期は両統迭立がほぼ常態化します。
 室町時代以降は天皇権威の弱体に伴い、両統を立てる余裕もなくなり、素直な長子相続が続き*1、現在へと至ります。

 

皇位断絶の危機!!その時彼らは!?
  • 武烈天皇継体天皇(継体元(507)年)・・・武烈帝に後継者がなく、応神帝五世の孫*2の継体帝が後を襲う。最初からなんですが、まともな歴史家はここで王朝交代が起きたと考えています。応神は実在が当てにできる最初の天皇なので、勝手に家系図でっち上げた臭さが漂います。
  • 光孝天皇源定省宇多天皇)(仁和三(887)年)・・・臣籍降下していた者が天皇になった唯一の例。素直な長子相続ですが、先代の「もの狂いの帝」陽成天皇を無理矢理退位させるために、本来ではなれるはずもない時康親王(光孝)が即位してしまい、その息子は臣籍降下済みだったという椿事に。
  • 九条廃帝仲恭天皇)→茂仁王(後堀川天皇)(承久三(1221)年)・・・承久の変に連座し、後鳥羽・土御門・順徳・仲恭*3が追放された為、後鳥羽の兄の守貞親王後高倉院)の息子の茂仁王にお鉢が回る。
  • 四条天皇→邦仁親王後嵯峨天皇)(仁治三(1242)年)・・・後堀川帝の息子四条帝が後嗣なく没した為、土御門帝*4の息子邦仁親王が抜擢。
  • 称光天皇伏見宮彦仁(後花園天皇)(永享元(1429)年)・・・称光帝に跡継なく没した際、庶兄に一休宗純がいるにも関わらず、またはとこの伏見宮彦仁が即位。一休の素行の悪さが嫌われたか。
  • 桃園天皇閑院宮師仁(光格天皇)(安永八(1779)年)・・・後花園帝が若年で没したので、父のはとこに当たる閑院宮師仁が即位。皇統断絶を恐れ宮家を創設して置いた新井白石のファインプレー。因みに以降は現在まで、直系長子相続が貫かれており、秋篠宮が即位することになれば、250年ぶりのイレギュラーということになります。
皇位継承ダービー〜外戚の勢威を中心に
  • 浩宮徳仁皇太子)・・・父今上陛下、母美智子妃、母の父正田英三*5、妻雅子妃、岳父小和田恒*6。結婚・出産・跡継誕生全て弟に先を越された不肖の兄。最近めっきり影も薄く、最悪イギリスみたく代飛ばしの議論が始まる日も近いか。
  • 秋篠宮文仁親王・・・父今上陛下、母美智子妃、母の父正田英三、妻紀子妃、岳父川嶋辰彦*7。兄貴の嫁さん関連での壮絶な自爆で現在人気赤丸急上昇中。坊ちゃん坊ちゃんした兄貴と違う、次男らしい自由奔放な性格で、好き嫌いのはっきり分かれるタイプ。息子誕生を期に、天皇家名物骨肉の相続争いの火蓋を切るか。
  • 秋篠宮文仁男(今日生まれた子)(9/12追記、命名悠仁」)・・・父秋篠宮文仁、母紀子妃、母の父川嶋辰彦。日本で一番望まれ、祝福されて生まれてきた子。プレッシャーに負けず素直ないい子に育って下さい。目下のところの最大のライバル愛子女王に比べると、外戚の政治力に不安あり。皇室典範改正さえなく長生きできれば、皇位は約束されたようなもの。日本の未来は君の肩にかかっている。
  • 愛子女王・・・父浩宮徳仁親王、母雅子妃、母の父小和田恒。現在の法律では継承権なし。小和田家の猛烈な運動で、王位継承権は目の前だったのが、今回の男児誕生で完全に頓挫。光栄なるクィーンか、悲劇のプリンセスか、彼女の未来はどっちだ。

嘆キノ壁ハ突キ崩サレテ 愚カノ民ハ鏖サレル

 結論。自由恋愛の一夫一婦制下で男系継承の護持は性別をいじりでもしない限り無謀。宮家増設もしくは特例としての蓄妾の許可が急務。
 
 どんだけ考えても、このめでたい日には似つかわしくない毒舌か不謹慎ネタしか思いつかなかったので、オチはナシです。願わくは、今日という日が記念されるべき日になりますように。

参考文献

別冊宝島ムック「皇位継承と宮内庁」

別冊宝島ムック「皇位継承と宮内庁」

平成皇室事典

平成皇室事典

井上光貞著作集 (第1巻)

井上光貞著作集 (第1巻)

日本の名著 (9) 慈円・北畠親房 (中公バックス)

日本の名著 (9) 慈円・北畠親房 (中公バックス)

岩波日本史辞典

岩波日本史辞典

今日の一行知識

一休さんは将軍足利義満の孫
後円融帝の妻三条厳子が義満と不倫してできたのが、後小松帝(一休宗純の父)という説があります。そう思って「一休さん」を見ると色々感慨深いですね。

亡國覚醒カタルシス

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*1:幕府に反抗し、朝廷権威の復権を目論んだ後水尾帝の代を除く

*2:因みに武烈も応神五世の孫。どれ位遠いかというと、これを認めれば、新皇平将門が正統後継者を名乗れるくらい。

*3:仲恭の諡号は明治に入ってから送られたもの。

*4:彼は幕府協調路線を取り、承久の変時も父後鳥羽を諫め続けていた。

*5:故人。日清製粉名誉会長

*6:外交官

*7:学習院大学教授