脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

巫女について

http://asbum.sakura.ne.jp/asbum/mhkoyori/mhkoyori.htm
さあどこからつっこもうか。

 ふっかぁーつ。今日起きたら夕方でした。こうして貴重な夏休みが浪費されゆくのだろうか。とまれ、眠れるようになったのは復調の徴と信じて頑張って更新しましょう。

 さて今回のネタについてですが、前回更新*1のコメント欄を見ていただけると分かるとおり、maro氏の意見にインスピレーションを与えられたものです。

 巫女の歴史を辿り、日本民族の裡に共通して流れる巫女さん萌えの血脈の源流を明らかにすることは、サブカルチャー的興味に留まらず、民俗学的にも有益な研究になりうるだろうとの確信から、この論文を書き上げました。民俗学については門外漢なので、専門家諸氏から見ると稚拙な議論になってはいるだろうが、我慢して読み進めていただきたい。そして建設的な反論をしていただけると幸いである。
 
 というのは建前で、要はいわゆる一つの嫌がらせです。ご存分に堪能くださいまし。

好きよ 好きだから怖い

巫女
 神に仕えて神楽・祈祷を行い、または神意をうかがって信託を告げる者。未婚の少女が多い。かんなぎ

 本題に入る前に、まずは真面目な話。語源は「神子」もしくは「御子」であり、元は「神の血族」と言った辺りの意味だったのでしょう。それがどのように「神の妻」扱いされ、処女性が重視されるようになったのかは、説がありすぎて、今一不明です。そもそも成立したのが古過ぎて、復元はほぼ不可能でしょうけど。精神的側面はさておいて、実利的面から考察すると、若い初心な小娘の方が神憑り=ヒステリー症状を起こし易いというのが主な理由なようです。下手に世知を付けられると、自身の「権力」に気付かれ、神託を悪用されやすいというのもあったようですが、これは後世の後知恵でしょう。
 あと余談ですが、日本で要求された処女性というのは、産穢を経験してない未出産の状態のことであり、儒教*2キリスト教*3でいう処女とは微妙にニュアンスが違うのでご注意下さい。尤も避妊・堕胎技術の未発達な中世以前ではほぼ同義でしょうが。

巫女の歴史

 遺跡遺物から見て、縄文弥生期の日本人がアミニズム・シャーマニズムに耽溺していたことはほぼ確実ですが、巫女の存在が確認できるのは、皆さんご存知卑弥呼*4が最初*5です。このことからも分かるとおり、古代日本に於いて巫女は宗教のみならず、政治の中心ですらありました。
 しかし、律令の導入に伴い、政治的権力は失われ*6ます。しかし、依然として大社の権威は高く、そこで行われる巫女による神託はしばしば歴史を揺るがし*7ました。
 平安期になると仏教の隆盛とそれに伴う神仏習合により、神道シャーマニズム的側面が薄れ、巫女による神託の重要度は急速に失われ始めます。その結果、巫女の宗教者としての側面ではなく、神楽などの儀式に携わる芸能者としての側面がクローズアップされます。その結果誕生するのが白拍子に代表される、芸や体を売り物にする芸能集団としての巫女です。
 
 国家宗教としての体裁を繕うために神道シャーマニズムを振り捨てたとは言え、民間習俗としての神道は変化しません。中世に入ると、折からの流通の発展と地方の興隆に乗って、歩き巫女と呼ばれる漂泊集団へと進化します。とは言えピンは古代の巫女王の面影を残す「神聖な」集団から、キリは最早芸すら怪しく体を売って施しを受けるのがやっとの賎民共同体まで幅広く一般化は困難を極めます。ちなみに有名な出雲阿国はほぼ中間層の出雲大社の神官を騙る芸能集団出身です。あと誤解を招かぬ為に申しておきますと、鹿島・厳島などの地方大社では、中世末期まで、古代とほぼ変わらぬ巫女の神託を中心とした神事が挙行されていたようです。

 時代は下って近世、漂泊集団は秩序紊乱の元とされ、歩き巫女も弾圧の憂き目に遭い定住を余儀なくされます。結果、年に数度の祭りのパートタイマーでは生計を立てられなくなったため、巫女も神社の雑事も兼務するようになりました。こうしてようやく境内を掃除したり御籤を売ったりする我々のよく知る巫女さんが誕生するのです。

 そして現代。宗教の近代化の美名の下、神道から原始宗教の色彩の強いシャーマニズムは完全に拭い去られてしまいます。神道のコアであったはずの「巫女」は最早中央政府の影響の及ばぬ僻地*8か、先祖返りを起こした新興宗教*9にしか生き残っていません。

巫女さんはぁはぁ

 ようやく本題。巫女さんの萌えキーワードと言えば、「清楚」「処女」「世間知らず」と言ったところでしょうか。どれも明らかに、強く逞しくしたたかな現実の女性にうちのめされた哀れな手弱男の妄想・願望の投影です。こんなもん押し付けられる現実の巫女さんは大変です。是非現役神職関係者からの職業巫女の実態のリークを期待したいところです。

 さて、サブカルチャーに巫女というモチーフが頻出するのには別の理由があります。「戦う和風少女」これに当てはまる職業が意外と他にいない*10のです。かてて加えて、イメージの稀薄さを逆用すれば、何にでも使える万能キャラの誕生です。スタンダードなところでは、西洋のクレリックにイメージを重ねて後方支援。陰陽師を援用して退魔師なんてのも美味しいですし、袴繋がりで弓使いもスタンダード。モンクにあわせて合気道でも使わせれば近接格闘すら出来ます。
 この使い勝手の良さと、今はなき古き良き従順可憐なイメージとが合わさって巫女さんは人気NO.1の座を守り続けているというのが、当サイトの結論です。

あなたを思うのは 私だけの夢ですか

 さていかがだったでしょうか。個人的な感想は「民俗学の専門書は読み辛い」ということでしょうか。文献史上主義の歴史学に慣れていると、民俗学の想像の翼の力強さにどうしても付いていけません。

 それにしても、調べて改めて思うのは、想像上の巫女さんと、現実の巫女さん、そして歴史上の巫女の乖離の激しさです。歴史と現実と理想が一致しないのは世の常ですが、ここまで激しいと笑ってしまいます。迷走の果てに僕らが作り出す未来、そこに生きる僕らの子孫はどんな的外れなユートピアをこの21世紀初頭に投影するのでしょうか。

参考文献

日本風俗史事典

日本風俗史事典

巫女の歴史―日本宗教の母胎 (雄山閣BOOKS)

巫女の歴史―日本宗教の母胎 (雄山閣BOOKS)

今日の一行知識

大きな神社の周辺に鹿が多いのは、古代鹿の骨を占いに使っていた名残
日本では供給の関係からか、亀卜ではなく鹿卜*11が一般的だったようです。宮島の横柄な鹿を見てるととても神獣には思えないんですけどね。

心に私がふたりいる

心に私がふたりいる

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*1:病める薔薇 - 脱積読宣言

*2:男系血統の継承を確実にする為に「新品未開封」の状態が要求された

*3:享楽主義の極地のローマ文化へのアンチテーゼとして誕生した為、禁欲第一主義。娯楽としての性交なぞもっての外

*4:個人名ではなく「日巫女」という一般名詞でしょう

*5:魏志』「東夷伝倭人の条に曰く「乃ち一女子を共立し王と為し、名を卑弥呼と曰う、鬼道を事とし能く衆を惑わす。年已に長大なり。夫壻無く男弟有りて治国を佐く」

*6:民族学の人は、奈良期の女帝乱立や、平安期の藤原北家出身の女系優先の皇位継承を巫女文化の一形態としたがっているようですが、歴史学的にはとても肯定できるものではありません。

*7:道鏡を失脚させた「宇佐八幡神託事件」が好例です

*8:ex.恐山のイタコ、沖縄のノロ

*9:ex.天理教、千乃正法会

*10:まあ一応「くノ一」とかありますが、山田風太郎大先生様の所為で性的イメージが付きすぎてて、清く正しいジュブナイルファンタジーには使いづらいんですよね。

*11:鹿の肩胛骨を焼いて、ひび割れ具合で占う