脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『秩父困民党群像』

いい歳した大人が「ガス充満状態で発火する認識がない」とかあり得るか? ラノベやなろうでもやらないだろ | やらおん!
爆発の危険性以前に窒息とか中毒とかの方が恐ろしくてようやらんわ。


 会社の忘年会の二次会でカラオケに。80歳になりなんとする会長が楽しそうに一緒に踊ってた*1のを見て、国民的ヒットとはこういうことかと納得。すげーな「U.S.A.」


DQⅥ進捗

  • デスタムーアの島でレベル上げ中。主人公の職業:ドラゴン「シルバードラゴン」

「きっと分かり合えない」とかたくなになるほど壊してみたい

秩父事件
 明治十七(1884)年秩父地方やその周辺の負債農民と地元の自由党員らが結成した秩父困民党による武装蜂起。秩父騒動・秩父暴動とも。自由民権運動期の最大の激化事件であり、また近世以来の負債弁済慣行に基づく農民騒動とも評価される。
 松方デフレ政策や恐慌により、関東・中部地方を中心に生糸価格が暴落、学校や新道工事のための負担増・地方税増税で金融会社・高利貸に対する負債を抱える農民が、返済延期・金利引下げ・納税延期・減税などを求めて請願・騒擾を繰返し、村ごとに困民党を結成、自由党に入る者も増えた。やがて30か村で総代を選び、1884.9秩父困民党として組織され、田代栄助*2・加藤織平*3・井上伝蔵*4・菊池貫平*5らを幹部として在地オルグ100名も活動を始めた。
 合法的な請願・交渉が行詰り、また下部の突上げもあり、幹部の反対を押切って、10.26下吉田村(現秩父市内)粟野山会議で11.1蜂起を決定した。秩父郡風布村ではその前日から行動を開始、群馬県西南部の農民も参加した。11.1下吉田村椋神社で総理田代・副総理加藤・参謀長菊池・会計長井上以下の役割と軍律を発表。銃・刀・竹槍を備えた2個大隊の武装組織を結成して蜂起、小鹿野町・大宮郷秩父市内)から皆野村に達した。途中では高利貸・戸長役場・郡役所などを襲撃、借金証文・借金台帳などを焼払い、警官隊・憲兵隊・鎮台兵と衝突。当初から武装行動に消極的であった田代・井上ら幹部は11.4皆野の本陣から逃亡したが、120人の分遣隊は菊池が総理となり、石間村から群馬県山中谷・長野県南佐久郡に至り、11.9東馬流(現小海町内)で高崎鎮台兵・警官隊に攻撃され、解体した。参加者約1万人、処罰者は4000人以上、戦死者23名。田代は11.14逮捕され'85.5.17熊谷刑場で死刑。加藤・落合寅市*6*7・高岸善吉*8・坂本宗作*9の4名も死刑。井上は逃亡。菊池は死刑判決後、大赦により無期徒刑、1905恩赦で出獄した。(『岩波日本史辞典』より引用)

 高校の日本史で左かかった教師に恍惚の表情で授業されて以来、微妙に遠ざけていた明治10年代の自由党暴動史。今回ではその中でも比較的メジャーな秩父事件。眉に唾つけながら表紙を開くとそこに展開されていたのは、良質の群像劇。無名の農民がどうやって英雄的行動をとるに至ったかを、丁寧な史料分析を伴いながらも良質なエンターテイメントに仕上げております。こういった暴動史に付きものの階級闘争史観的臭みも最小限で、そこは新人物往来社の面目躍如。中近世の下手にこちらに知識がある分野だとちょっと待てな単純化が多くて敬遠してたんですけど、詳しくない分野の導入として読むには最適ですね。今後は食わず嫌いを直してみようと思わせてくれた一冊でした。

過ちも知らず痛みも恐れず呆れるくらいの子供のように

 「岩波史観が歴史嫌いを量産している」。個人的な感想ですが、間違った信念ではないと思います。上述の通りの左がかった腐れ教師どもの下卑た笑みが何人の純真無垢な生徒を破滅に追い込み、自立心溢れる将来有望な生徒を歴史という学問から遠ざけたことでしょうか。国語も数学もそうですが、教師の自己満足で生徒の好奇心をスポイル教育こそが、日本の義務教育の宿痾です。

帰ってきた今日の一行知識

「峠」は国字
中国には「とうげ」の概念がなくて、あえて言えば「嶺」がそれにあたるとか。まあ大陸的スケールで考えると峠道なんてちんまい地形は物の数にも入らんか。

*1:さすがに手ぶりだけですが

*2:秩父困民党総理。父嘉之。大宮郷に居を構える代言人兼侠客として秩父地方の名望を集めていた為、困民党結成時に総理に推挙される。秩父事件を主導するも逮捕死刑。

*3:秩父困民党副総理。石間村の富農兼金貸しとして勢威を誇り、侠客集団を形成。困民党に多くの人材を供給したが秩父事件にて逮捕死刑。

*4:秩父困民党会計長。父類作。下吉田村の商家丸井の代表として活躍するうちに自由党に入党。秩父困民党の理論的中心となる。秩父事件後は逃亡に成功し北海道で客死。

*5:秩父困民党参謀長。長野県北相木村で代言人として活躍する傍ら自由党に入党。秩父事件では部外者ながらも困民党に参画し、武力行動を組織。困民党崩壊後逃亡し別件にて逮捕されるも恩赦。

*6:秩父困民党乙大隊副長。加藤織平の子分として困民党のオルグに奔走。秩父事件後は逃亡し大阪事件にも参画し逮捕。

*7:原文ママ。新井周三郎との取り違え。

*8:秩父困民党上吉田村小隊長。加藤織平の子分として困民党のオルグに奔走。秩父事件にて逮捕死刑。

*9:秩父困民党伝令使。加藤織平の子分として困民党のオルグに奔走。秩父事件にて逮捕死刑。