脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『大正天皇』

森裕子参院議員「ゲンダイを読めば真実がわかる!」と民主党議員に配布 : ネトウヨにゅーす。
良識の府は何処行った。それとも知らぬ間に日刊ゲンダイの世間的信用度が上がったのか?


 ここ一月強の混乱で我が社の抜本的改革すべき部署が明らかに。経理と人事と総務と営業と企画と秘書と役員会だけ何とかしたら真っ当な会社になれそう。あと道は僅かだ。

大正天皇 (朝日選書)

大正天皇 (朝日選書)

いっぱい失敗を繰り返していつの日か虹渡ろう

大正天皇
 明治十二(1879)〜大正十五(1926)年。在位:1912-26。明治天皇*1の第3皇子、母は柳原愛子*2東京市赤坂区出身。称号:明宮、諱:嘉仁。
 中山忠能*3・土方久元*4佐々木高行*5らの教育を受け、1889立太子、1900九条道孝*6公爵の娘節子*7と結婚。'12.7.30明治天皇の死と共に践祚、大正と改元、'15京都で即位の大礼を挙行。病弱で脳病となり、'21.11.25皇太子裕仁*8が摂政に任ぜられた。在位14年4ヶ月余で死去。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

 遠眼鏡の君こと、暗愚の代名詞大正帝の伝記。論調としては、「古代の残滓を引きずりながらも近代的王権の象徴たることを求められた『天皇』という制度の枠に囚われず、自由の翼を羽ばたかせた名君」といった方向性に持って行こうとしているのが見て取れるのですが、肝腎の本人の行動が、行啓先でいらんことをわざわざ言挙げして、現場を大混乱に陥れたり、新聞紙上に格好の話題を提供したりと、「あかん子」全開なので説得力に乏しいところがあります。どうせ弁護するのであれば、ちと頭は足りないが、その既成概念に囚われぬ自由な発想で王家と臣民との垣根を飛び越えようとした天使たん。ってな方向性の方が良かったんではないでしょうか。
 まあそんな揶揄はさておき、偉大にして厳格なる犯しがたき権威たる天皇陛下だった明治帝から、戦後自ら御身を晒して親しく全国を行幸なされた昭和帝への架け橋として評価すべき御仁なのだとの感想を新たにしました。藩閥や堂上貴族の更に上に控える、神聖にして犯すべからざる絶対権威を、臣民に親しく接する身近な者にする為に、天が大正帝という偉大な白痴を浮世に遣わしたなんて解釈は詩的に過ぎるでしょうか。
 明治昭和二人の大帝に挟まれ非常に影の薄い大正帝。皇家への過剰な配慮の必要性が薄れた今こそ、彼を再評価すべき時ではないでしょうか。貶すにも庇うにもこの一冊は非常な力になってくれるはずです。

未来は誰にでも変えられるモノなの?

 後鳥羽・後醍醐・昭和。日本史上に天皇は数あれど、英明を持って鳴らす名君と言えばまずこの三人が挙げられるでしょう。しかし、三人とも結果的には「亡国」を招く羽目になってしまっています。やはり天皇制というシステムの中枢に据えるべき神輿には個人的才能は却って邪魔なのかもしれません。大正デモクラシーと帝都東京の繁栄をもたらした大正帝などはその典型ではないでしょうか。その伝でいけば、平成の次の御世は繁栄を期待してもいいかもしれませんね。徳仁親王期待してますよ。くれぐれもその名の表すままに非業の死を遂げられませんことを。

FREEDOM    (CCCD)

FREEDOM (CCCD)

帰ってきた今日の一行知識

ランドセルが小学生に普及したのは嘉仁親王が嚆矢
例によっての、空気の読めない我が儘で陸軍のリュックで学校行きたいと駄々こねたのが、一般にも流布した模様。お偉い方の思いつきも偶にはいい仕事しますね。

*1:第122代天皇。諱は睦仁。父孝明天皇、母中山慶子孝明天皇の急死に伴い即位。二度の大戦を乗り越え弱小国日本を列強へと導いた。

*2:明治天皇典侍。正二位。父光愛。女房名:「梅ノ井」・「早蕨内侍」。通称:「二位の局」。子に薫子内親王・敬仁親王大正天皇

*3:議定。侯爵。父忠頼、母(正親町三条)綱子。和宮降嫁に関わったことを尊攘派に憎まれ朝廷での立場を危うくする。長州と組んで禁門の変で挽回を狙うも敗れて失脚。孝明天皇死去後復権し、長州派公家の筆頭格として、王政復古の大号令の実現に尽力。小御所会議では司会も勤めた。

*4:第一次伊藤内閣農商務大臣。伯爵。父久用、母時子。土佐勤皇党に参加し、そこで三条実美の知遇を得、維新回天に尽力。維新後は天皇親政皇権拡張を主張する宮中保守派として、宮中の要職を歴任した。

*5:第5代工部卿。伯爵。父高順。幕末期に山内容堂の側近として土佐藩政を主導、「土佐三伯」の一人に数えられるほどの活躍を見せる。維新後は天皇親政を掲げ、伊藤博文ら政府要人の排除に動いた。内閣制度確立後は宮中に退き、尊王愛国精神の高揚に努めた。

*6:貴族院議員。公爵。父九条尚忠、養父九条幸経。朝幕協調を推進するも王政復古の大号令により一旦は失脚。維新後復権明治天皇の相談役も勤めた。東京海上保険の創立にも関与。

*7:貞明皇后大正天皇皇后。父九条道孝、母(野間)幾子。子に昭和天皇秩父宮雍仁親王高松宮宣仁親王三笠宮崇仁親王

*8:昭和天皇。第124代天皇。父大正天皇、母貞明皇后。暗愚な父に代わり摂政として朝政を総攬。即位後はイギリス流の「君臨すれども統治せず」の君主像を理想とし、戦前は現人神として、戦後は象徴天皇として激動の昭和を見守った。