脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

衆道について

http://www.tagame.org/index.html(18禁)
http://www3.nhk.or.jp/anime/mao/
http://www.amuse.co.jp/artist/Ryunosuke_Kamiki/profile.html
http://www.kasimasi.com/
お好きなのをどうぞ。内訳は上からHG・BL・ショタ・女体化となってます。もっとやばいのもありますが、自主規制させていただきました。興味のある方はご連絡下さい。個別に対応させていただきます。

 さて、本日五時〆切のいっさい手をつけてない原稿が別ウィンドウで待機しているのですが、こんなことしてていいのでしょうか。「仲間内での集まりなのでばっくれちゃえ」と心の悪魔が囁くのですが、守護天使様もう少し頑張って下さい。

 高尚な文学論を語り合う為のサイトとして開設されたはずのここですが、最近頓に下ネタ方面への地すべりが進んでいます。管理人の本性がばれてしまったのでしょうか。oguoguさんコメント&ネタ振りどうもありがとうございます。*1
 とはいえ、上記のような事情もあり、今回はいつもに増して適当な縮小更新になってしまいます。機会があれば、きちんと調べて更新します。ごめんなさい。

見よや衆道魂を

中国の衆道

 前回調べ物している際に、「第二次性徴前に去勢した宦官は高級貴族に珍重された」という記述をみつけたのと、多分に漏れず僧侶の中では流行していたという事実の他は、寡聞にして例を聞きません。深遠なる中国4千年の歴史のことですから、掘り返せば山ほど出てきそうですが今回はパスさせて下さい。
 個人的な推察だけでもしておきますと、半万年の歴史を誇る朝鮮の事例として、朝鮮通信使に男色を詰られた雨森芳洲が「学士未だその楽しみを知らざるのみ」と答えて煙に巻いたというエピソードがありますので、本家の中国の事情も似たもんだったんじゃないでしょうか。女色を咎める仏教も、男色を禁忌とするキリスト教も流行しなかった為、「事件」として残りにくかったのでしょう。そもそも儒教自体子孫繁栄を至上命題としている「宗教」なので、文化の担い手たる知識人がそんな無駄なことをしてる暇も精力もなかったのかもしれません。

日本の歴史

 日本の原宗教たる神道は豊穣を祈念するシャーマニズムなので、古代に男色の流行した気配は見られません。産めよ殖やせよ地に満てよでそんな暇もなかったのでしょう。事情が変るのは、仏教伝来以降です。女犯を禁じ、男尊女卑の傾向の強いこの宗教は、必然的に知識人階層での男色の流行をもたらします。*2享楽的退廃的な文明は同性愛の傾向を助長するという一般則*3に漏れず、平安貴族の中でも男色は流行したようで、藤原”悪左府”頼長も自身の日記(『台記』)で華やかな男性遍歴を赤裸々に語っています。
 武士の時代になると、同じ釜の飯を喰らい共に死線を越えることにより、友情が愛情に変るのはある意味自然なことだったようで、男色は更なる広がりを見せます。特にそれが顕著だったのは戦国時代で、宿老支配を打破しようと目論む英明な君主達(ex.武田信玄織田信長)に新規の人材(ex.高坂昌信前田利家)を登用するルートとして有効活用されました。とはいえこの時代はまだ一般庶民には浸透していなかったようです。それを示すものとして、秀吉が男色に一切興味を持たなかったのを、部下たちが心配するというエピソード*4があります。
 江戸時代に入ると陰間茶屋などの男性娼館も出現し、一般庶民にも徐々に広がっていったようすが窺われます。ストリップに毛が生えた程度の阿国歌舞伎が現在の野郎歌舞伎に発展する際、間に若衆歌舞伎でワンクッションおいているのもそれを裏付けます。この背景には江戸の町の異常な男性過剰がありました。女がいなけりゃ、手近な男の子でもいいや、ってのは自然な流れでしょう。
 明治以降はキリスト教道徳により、あれだけ隆盛を誇った男色文化も弾圧され黄昏の時代を迎えます。それでも戦前は寄宿舎内などで細々と営まれていたとの証言もありますが、性情報の氾濫により、現在ではそんなこともなくなりつつある*5ようです。

現状と未来

 現代日本でも愛好者は少なからずいるようですが、欧米と違いあまり存在感を感じません。これは、欧米と違い、キリスト教へのアンチテーゼとしてアンシャンレジームへの反逆の象徴となることもできず、正当性を確保しがたいからであろうと思います。それと地下にもぐれば、生活に不自由しない程度のコミュニティが存在していることも大きいのではないのでしょうか。少なくとも、日本人のマイノリティ差別なんて偏狭な考えで捕らえていいものではないです。
 むしろ現代日本で特筆すべきは、BLやS文学*6に象徴される同性愛文学の方でしょう。恋愛小説を楽しむのにわざわざいけ好かない同性を登場させる必要はないと気付いてしまった彼らは文学史上にどんな大輪の華を咲かせてくれるのでしょうか。

まとめ

 なんの資料も見ずにこれだけ書けてしまった自分にびっくりです。品性を投げ捨てる勇気さえあればまだまだネタは尽きないのですが、今回は自粛します。あと私は女性を愛する健全な男性です。為念。

追伸

 関係者一同様へ
  旅に出ます。探さないで下さい。

今日の一行知識

プラトニックラブとは元々男性同士の精神的恋愛を示す用語*7
 ロリコンも同じ道を着々と辿ってますが、観念的な理想化された恋愛なんてものは、男の獣性の前ではかくも脆く崩れ去ってしまうものなのでしょうか。

*1:他意はございません。前振りの構成上こんな失礼な感謝の仕方になってしまいました。ごめんなさい。

*2:衆道の語源はここ。大衆(だいす)の道。意訳すれば、「お偉いお坊さんのやり方」といったとこでしょうか。

*3:ギリシャでは、女性とのセックスは動物的原始的本能の発現として忌避され、男色が推奨された

*4:秀吉の寝所に見目麗しき美少年を派遣したところ、「お前に姉妹はいないか」と訊かれ追い返された、というものですが、これが「笑い話」として後世に伝えられていることで、当時男色が武士階級では一般常識であったことが知れます。

*5:男子校出身ですが、少なくともウチでは一件も見聞きしませんでした。ホモって仇名の奴は何人かいましたけど。

*6:昭和初期から30年代にかけて流行した少女同士の淡い恋愛感情を描く少女をメインターゲットとする小説のこと。現代の『マリアさまが見てる』などの男が萌える分野をこれに含めるのは、激しく違う気がしますが、他に適切な用語を思いつかないので代用します。

*7:本来の理念では飽くまで精神的なものでなければならない同性愛者が、下手すれば異性愛者よりも遙かに肉欲に耽っていることを、プラトンが痛烈に批判したことに由来。